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佐渡廃道めぐり 〜 鹿ノ浦旧道 〜

2015.04.12 Sunday

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名勝佐渡海府海岸にあって唯一無人な集落が鹿ノ浦(かのうら)です。
ここを流れる中ノ川という川は慶長期に鉱毒が流れたそうで、集落そのものが片辺(かたべ)へ移動したんだそうです。
平成15年に鹿ノ浦バイパス(鹿ノ浦大橋と鹿ノ浦トンネル)、翌年には南片辺トンネルが開通しましたが、それ以前は海府道でも1〜2の難所と言われた場所です。

佐渡一周線は昭和43年に海府大橋が架かったことで開通しましたが、工事は大正期から続いていました。
戸中(とちゅう)までは大正期に隧道が完成していましたが、この鹿ノ浦道が開通し、相川と高千が結ばれたのは昭和9年のことです。
現在の鹿ノ浦大橋を車で渡ると、山側の急斜面にかつての旧道が心もとなく繋がっているのが見えます。

今でこそ立派な橋と太いトンネルが走る海府道ですが、ほんの10年ちょっと前まではスリリングな箇所はたくさんありました。
その最たる場所がこの旧鹿ノ浦トンネルへと続く幅員わずか3m程度の道でした。

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/250,F2,iso100】

最後に私がこの旧道を通ったのは、佐渡へ帰って来た平成15年の秋です。
当時の相川町の観光協会主催のトレッキングに参加するため、マイクロバスに乗ってここを通りました。

大型車のすれ違いなんてできない細い道です。(しかも、断崖絶壁…)
突き当りのトンネル入り口まで差し掛かったところで、対向車の大型車両とかち合ってしまい、両者とも身動きが取れなくなってしまいました。
結局、対向車(2〜3台はあったハズですが…)が229mのトンネルを後退してくれたことで何とかすれ違うことができました。
この狭い旧道らしい記憶が最後に残っています。

DSC00959 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/60,F11,iso640】

その時に見て以来、この角度から鹿ノ浦大橋を望みます。
自分の運転でこの道を走ったのは、仮免許中に1度あったくらいです。
小さい頃からたまに通るこの車窓はアスレチックのようなスリルに満ちていました。

DSC00962 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/80,F11,iso640】

舗装は剥がされ、藪に覆われています。
そんな薮に覆われた落石防止ネットとモルタル塗りの法面が、辛うじてこの場所に道があったことを今に伝えています。

DSC00972.jpg
【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/400,F5.6,iso100】

振り返って。
思っていたよりもずっと細い道です。
軽自動車でも通るのは嫌かも知れません。。。
「鹿ノ浦の難所四十二曲がり」恐るべしです。

DSC00970 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/125,F11,iso100】

昔はここから見える景色は青く底の透けた海だけでした。
今は水平線の見えるあたりに橋が架かっています。
よくぞあんなものをこしらえたものです…。

DSC00973 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/160,F5.6,iso160】

そして断崖の道の突き当りにあるのが、旧鹿ノ浦トンネルです。

DSC01203.jpg
【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/640,F2,iso100】

昭和9年竣工です。
長さは229m。
銘板の文字は右から「鹿ノ浦隧道」です。
銘板は比較的新しくはめ込まれたもののように見えますが、ポータル部分は痛みが激しい感じです。

何せ昭和9年竣工ですし、隙間から伺い見ることのできそうな内部はどんなに荒れているのかと思ったんですが…。

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【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/30,F5.6,iso1600】

伺い見るどころか、普通に内部に入ることができます。
意外にも内部は驚くほどキレイな状態でした。
もともと手掘りのようなトンネルで、後年になって吹き付け処理が施されましたが、まったくもってキレイでした。
唯一、照明の吊り下げ器具が外れてはいましたが…。

ちなみにもともとこのトンネルに照明はありませんでした。
照明が設置される契機となったのは「佐渡国際トライアスロン大会」ですが、それ以前までは真っ暗な状態(上の写真の状態)でした。

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【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/250,F5.6,iso125】

無事に帰還の図です。
まぁ、道そのものはしっかりとしているので、無事も何もあったもんではありませんが…。
いちばん大変だったのは、イバラがバリバリと絡みついてくることでした。。。

前述した「鹿ノ浦の難所四十二曲がり」についてですが、この場所はほんの“さわり”の部分なんじゃないかと思います。
相川側からこの場所を抜けると、現在の南片辺トンネルの海岸側にはこれまたスリリングな旧道が残っています。
そこを通り抜け、南片辺まで至る旧県道45号線付近を“四十二曲がり”と言うんだと思います。
もちろん、車によって走破することはできませんが、一部は現在も農道のように利用されていますから、また別の機会に足を踏み入れてみたいと思います。

なお、これらの廃道についてですが、「立入禁止」のような表示等はありませんが、基本的に人が立ち入るようなことは想定していない場所かと思います。
例えばこの記事をご覧になった方が立ち入ったとして、その結果何か不具合が発生したとしても私としては責任は負いかねます。
立ち入る際は、すべてにおいて自己責任となることをご承知いただきたいと思います。

佐渡廃道めぐり 〜 中山街道 〜

2015.04.05 Sunday

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カテゴリに「佐渡の廃道・廃墟」なんてものを追加して久しいんですが、このカテゴリで記事を書くのはようやく2回目です。
もっともっと色々行きたかったところはあるんですが、いかんせん時間が足りません…。
前回の記事(=佐渡廃道めぐり 〜 大倉走 〜)から早や2年近くが経過してしまっていました。

DSC00274.jpg
【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

という訳で、中山街道です。
今の中山トンネルの相川側の坑口より約300mほど相川寄りにこの旧道の入口があります。
キリシタン塚を越える「旧・中山街道」の後を受けて明治18年に「掘割新道」として開通した道路です。

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1000,F2,iso100】

「掘割」のその文字の如く、地面を切り裂いて開通させたような道路です。

【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

道幅としては、大型車もすれ違い可能な2車線道路として十分なものと思うんですが、センターラインもない無骨なコンクリ敷きです。
これは昔から変わっていません。
ここを路線バスも走っていたんですよね…。

【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

道の両側はガードレールも車止めもなく水路が切られています。
今の中山越えの道路も、中山トンネルから沢根にかけては、冬場によく車が落っこちていますが、こちらも当時はしょっちゅう車が落っこちていました。

現在の中山トンネルは1,989年(平成元年)3月に竣工ですから、この道路はそれまでが現役だったということになります。
しかし、今現在も、この道路の突き当り付近に日本道路(株)佐渡出張所があり、車の往来はあります。
また、この道路の入口付近の旧・中山街道もそれなりの利用があるため、人の出入りは少なくはないようです。

【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

突き当り付近に当時のまま設置されている看板です。
現在、車両で乗り入れできるのはこの場所までです。

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/100,F5.6,iso400】

その看板から50mほど奥にあるのが旧・中山トンネルの相川側の坑口です。
手前の道路は崩れた法面の土砂と流れ出た地下水に覆われています。
この付近一帯のみ廃道然とした雰囲気が満載です。

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/100,F5.6,iso400】

ポータルに残る「中山隧道」の銘板が見えます。
開通は大正13年。
長さ363mは、当時としては禿の高トンネル(427m)に次いで佐渡で2番目を誇りました。
禿の高トンネルの竣工が昭和35年ですから、それまでは佐渡一長いトンネルだったんですね。

私自身は、このトンネルを自分自身で運転して通ったことはありません。
新・中山トンネルの竣工時はまだ小学生でした。
そのかわり…といっては何ですが、幼稚園の頃から「お絵かき帳」の最初から最後までこのトンネルの絵を描いていました。。。
(当時のお気に入りは「高速道路」「トンネル」「天気図」でした)

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/200,F5.6,iso400】

今、坑口に立ってみるとその小ささをより実感してしまいます。
当時はそれでも大きくて立派なトンネルかと思ったんですが、しょっちゅう渋滞を起こしていた気がします。
バスや大型車同士がかち合うとパッシングで合図を送り合い、片方が通り抜けるまで、もう片方は待機でしたから…。

怖かったのは雨の日でした。
ボロっちいと思ったのは当時からです。
壁がしょっちゅう剥げ落ちていましたから、雨の日はトンネルの中の至るところから地下水が噴き出ていました。
いつ崩れてもおかしくないような印象しか残っていません。

1度だけ父親に連れられて歩いて通ったことがあります。
当然のように歩道なんてありませんから、結構危険極まりなかったんだなと…。
そんな思いでが満載の旧・中山トンネルです。

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/50,F5.6,iso400】

余談ですが、、、

「心霊スポット」とかそいうのがあるのかどうなのか知りませんけど、そういう意味でも有名な場所らしいです。
…が、私自身がその類の話を一切信じていないこともあるため、そんな怪奇現象は一切起こる場所でないと断言しておきたいと思います。
これは、このトンネルの上を通る旧・中山街道やキリシタン塚についても同様です。

ちなみに、これは私の確認不足の部分なんですが、、、
掘割新道が明治18年の開通で、旧・中山トンネルの開通が大正13年ということですが…。
では、その両者の間に横たわる40年の歳月の差とは一体何なんでしょうか??
私の認識では掘割新道の開通とは、中山トンネルの開通も含めての意味合いと思っていたんですが、これでは合点が行きませんね。

一方「掘割新道」は私の勝手な思い込みの部分もあり、私はずっとこの旧道がそれであると信じてきましたが、どうやらそうでない可能性もある訳ですね。
このあたり、今後も継続して調べてみたいと思います。

坑口付近に立って、山の向こう側の現道を行き来する車の流れの音が、この旧道まで響いているのが印象的でした。

In the Remains

2014.11.24 Monday

 

現在は伝統文化と環境福祉の専門学校となっていますが、その一角に古い木造の校舎と体育館が残されていました。

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【α99】+【50mm F1.4】
-- 50mm 1/1,600sec F2.0 ISO=100 --

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【α77】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/250sec F8.0 ISO=200 --

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【α77】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 10mm 1/125sec F8.0 ISO=200 --

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【α99】+【50mm F1.4】
-- 50mm 1/640sec F2.0 ISO=100 --

既に大半は取り壊されており、廃墟のようになっていました。
…というより「廃墟のような状態になっていたため取り壊される」のかも知れません。
国道350号線を両津方面から相川方面へ向かう途中、ふと視界に入って来た光景でした。

既にその大半が散り落ちてしまった銀杏の木と、大半は壊されてしまった校舎の風情が切なく映っていました。
校舎が消えたあと、この銀杏のきだけは残るんでしょうか…。

佐渡廃道めぐり

2013.05.13 Monday

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唐突ですが、廃墟や廃道というようなテーマには興味のあるところでした。


もともと私の住む相川地区には佐渡金山に纏わる遺跡群が数多くあり、それらは現在のようにスポットを当てられる以前は
それこそ巨大な廃墟となっていました。

その最たるところが、大間(おおま)町にあった火力発電所でした。


現在は建物そのものが取り壊されてしまいましたが、夕闇が迫る頃には付近を歩くのもおっかないようなところで、
鉄格子だけが残った窓や、サビついた梯子、蔦の絡まった無機質なコンクリの壁などが印象に残っています。


私にとっては、私の潜在意識の中に、廃墟に対して興味を持つファクターは充分にあったんだと理解しています。


昨年「廃道 棄てられし道」(写真・丸田 祥三 文・平沼 義之)
という写真集を購入したんですが、現在に取り残されている「過去」の放つ威光というか、何というか・・・。

人の手によって命を吹き込まれ、やがて役目を終え、しかし今もなおそこにあって新たな役目を果たしているような、役目を待っているような・・・。


そんな姿を佐渡の中からも探してみたいなと・・・。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/250sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

まぁ、そんな前置きはどうでも良いとして、昨日車を走らせていた海府道から唐突にこの場所へ足を踏み入れてみました。


「佐渡の親不知」こと「大倉走」

現在は海岸線からやや内陸部分に直線の大倉トンネルが開通していますが、かつての主役はこの旧・大倉隧道です。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/50sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

現在の大倉トンネルは平成3年に開通とのことですが、それまではここを車が走っていました。


平成3年といえば、私はまだ中学生の頃です。

もちろん、数は多くはないですが、何度かここを走ったことはあります。(ただし、自分の運転で走ることはありませんでした・・・)


しかし、こうして海岸線に降りてみることは初めてでした。

なぜ、こんなロックシェードが必要だったのか、、、


想像以上に頭上に張り出した岸壁群を見て、身を持って理解しました。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/160sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

海岸線から岩場を伝ってロックシェードの内部に到達しました。



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【α100】+【Vario Sonnar T* DT16-80mm F3.5-4.5 ZA】
-- 16mm 1/125sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

思ったより、風化してもいないように見受けられました。

もっと草や藪が生い茂り、足元のアスファルトも土砂に埋没しているかと思ったんですが・・・。


しかしながら、思った以上に狭い道でした。

こんな道をバスなんかも走っていたんですよね。


このシェード内に降り立つこと自体が初めてだったんですが、いちばん驚いたのはその点でした。



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【α100】+【Vario Sonnar T* DT16-80mm F3.5-4.5 ZA】
-- 16mm 1/60sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

相川よりの手掘りトンネル内からです。


旧・大倉隧道は相川川から「第1大倉髄道」そしてロックシェードを経て「第2大倉隧道」と続きます。

第1、第2隧道の坑口部分は封鎖されています。


これらの隧道の開通の歴史は古く、明治時代に遡るそうです。



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【α100】+【Vario Sonnar T* DT16-80mm F3.5-4.5 ZA】
-- 16mm 1/60sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

何となく“本家”である「親不知」のトンネル群を彷彿とさせる場所です。

親不知のトンネル群も新旧の道路が入り混じっており、並行している旧道は、そこを通過するたびに「歩いてみたい」と思わせてくれます。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/60sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

やたらと波の音がシェード内に響いていました。

あまり時間をかけすぎると、潮が満ちてしまい来た道を戻れなくなりそうな気がしたため、早々にこの場所を後にしました。


今回は“さわり”の部分だけということで、、、

まぁ“次回”があるのかどうかはわかりませんが。。。


考えてみたら、私、幼稚園児の頃は“お絵かき帳”の最初のページから最後のページに至るまでトンネルの絵を描き続けた人間です。

佐渡金山の遺跡群が云々と言いましたが、もっと別のところでこのような場所へ興味を持つ素質はあったんだなと。

今になって思い出したところです。



佐渡一周線沿いにはすれ違いが困難な箇所があり、現在もなお新道が建設されては、旧道が生み出されています。

特に、この「大倉走」のような海岸線に沿ったか細いトンネルは、軒並み内陸部に巨大なトンネルが建設され、廃墟の道へと追い込まれています。


外海府海岸線にも、この「大倉走」から相川市街地へ至るまでに4箇所ほどそういった場所があります。

もっとも、山間部には廃道とも現道とも区別のつかないような林道は多数ありますが。。。



そのあたりも含め、新しいカテゴリの中でお伝えしていけたらと思います。(勝手な個人の趣味ですが)

次回は、戸中トンネルの旧道あたりに潜り込んでみたいですね。
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