2024/03

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相川南沢町に聳えていた旧・あいかわ保育園が解体中です。

(写真は年末の頃の様子なので、今はもう解体済みなのかもしれませんが…)

 

[α7Siii,LA-EA5,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM II,30,F8,iso800]

 

細かな沿革とかの類は持ち合わせていませんが、私の母園です。

3歳、4歳をこの園舎で過ごしました。

私が通っていた頃の名称は「海星愛児園」で、母体はカトリック教会でした。

 

[α7Siii,LA-EA5,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM II,30,F8,iso800]

 

現在解体中の園舎は白い鉄筋コンクリート造りの四角い建物でした。

私の持つ記憶のいちばん古いものの1つに、それより前の園舎が微かに残っています。

木造の尖がった屋根に時計が見えた記憶があります。

色は、モノクロです。

 

私が3歳で入園した時は新築のピカピカだった訳ですから、その時には現在解体中の園舎に建て直されていたんだと思います。

母に連れられて登園すると、運動場から帰途へ着いた母の後ろ姿を見送りながら毎日ピーピー泣いていたことも記憶にあります。

 

[α7Siii,LA-EA5,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM II,30,F8,iso800]

 

狭くて擦れ違いもできないような川沿いの劣悪な環境に建っていた園舎と思います。

佐渡にあって相川地区は土地に恵まれていなかったですからね…。

そんなところに堂々と聳え立っていた園舎なので、解体後はむしろ往時の存在感が思い出されるんじゃないかと思っています。

 

かけっこができるような園庭もなく、運動会の類は当時の相川小学校グラウンドで行われていたんじゃないかと思います。(同じく、十分な園庭のなかった相川幼稚園の記憶かもしれません)

夏には四角い園舎の屋上いっぱいに膨らむビニル製のプールが設置されました。

園舎の2階に設置された非常階段とすべり台は近所の子たちの休日の格好の遊び場でした。

 

この園舎の姿を見て「懐かしい」と、色々な記憶をお持ちの方が多数いらっしゃると思います。

もしまだ建物の残骸が残っているようであれば、2度と見ることができなくなる前に少しでもよいので"母園"の姿を瞼に焼き付けに足を運んでいただけたらと思います。

 

 

 

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お久しぶりのテーマです。

「廃墟」なんて決してありがたいお話しではないんでしょうが、廃墟だからこその美しさがあるということもまた事実です。

 

[α7iii,Sonnar T* 135mm F1.8 ZA,2.5,F11,iso2500]

 

この廃墟については、美しさというより存在感ですね。

サイズがサイズだけに圧倒的な存在感を放っています。

 

[α7Sii,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM,30,F11,iso400]

 

栄華を誇った時期があったのかどうか…。

今では考えられないほど、先行きがバラ色だらけの時代に建てられたんでしょうね。

その意味では、時代にも取り残されたと言える現在の姿はまさに廃れた虚構です。

 

[α7Sii,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM,30,F11,iso400]

 

運河に架かる歩道橋を渡るのは昨年6月以来です。

 

[α7Sii,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM,5,F2.8,iso3200]

 

この日も前日と同様、強い風が雲を吹き飛ばして星空が覗く時間がありました。

背後の加茂湖方向から吹き付ける風の冷たいこと冷たいこと…。

 

[α7Sii,Vario Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSM,30,F11,iso400]

 

運河の手前に戻ってもう1度。

冒頭、廃墟美だの何だの云々書きましたが、そんな悠長なことを言っていられないということが現実問題なんでしょう。

そう思いつつも、手前の運河や対岸の街灯の灯りによって引き立たせられる巨大な廃ホテルの佇む様は「美」を含んだ表現がふさわしいと感じてしまいました。

 

 

 

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旧・大倉隧道については、過去2回ほど「佐渡廃道めぐり」としてお伝えしたことがあります。

(2020年4月は→【こちら】、2013年5月は→【こちら】

 

2回目はごく最近の記事ですが、2回目の訪問の後、ふと思いました。

「北側の坑口はどうなってるのかな??」と。

 

旧・大倉隧道は、南側(相川側)から、第1隧道→ロックシェード→第2隧道となっています。

いつも入り込むのはロックシェードの部分からです。

第1隧道の南側坑口はガッチリと塞がれています。

しかし、内部から見た第2隧道の北側坑口からは明かりが射しこんでいます。

とはいえ、坑口を塞ぐように流し込まれた土砂が天井近くまで達しているため、通り抜けは難しそうです。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/5000,F2.8,iso100]

 

とりあえず、現道である大倉トンネルを抜け、矢柄(Yagara)側の出口から旧道へと入ってみました。

海端の狭い道に、ガードレールの支柱だけが残されています。

しかし、道は思ったよりもずっと綺麗です。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/5000,F2.8,iso100]

 

綺麗だったのは、海苔畑まででした。

北側坑口から約100mほどの道路は一切未整備で、土砂と落石と雑草で埋まっていました。

その先に、辛うじて北側の坑口が姿を覗かせていました。
 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/5000,F2.8,iso100]

 

せっかくなので、海苔畑へと降りてみました。

…というか、そちらの方へ降りて、波打ち際を歩かないことには坑口へ近づけそうにありません。

沖合に浮かぶのは、向かって左側が大島(Ōsima)、右側が三島(Mishima)です。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/5000,F2.8,iso100]

 

少しだけ視線を右側へ移します。

左側に見えるのが三島(Mishima)、左側の伏せたワニのような頭部の部分は禿の高(Hagenotaka)です。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/5000,F2.8,iso100]

 

もう少し視線を右に移すと矢柄の集落が見えてきます。

かつて、この隧道を通り抜けると視界に入って来たであろう風景です。

もっと昔には、波打ち際の難所であった「大倉走り」を無事に走り抜けて見ることができた風景です。

いつもこんなに明るい風景であったとは限りませんが、ホッとひと息つくに値する風景なんじゃないかと思います。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1000,F2.8,iso100]

 

海苔畑の先端から振り返ります。

北側坑口が覗いています。

今度はそちらへ向かってみます。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/3200,F2.8,iso100]

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/3200,F2.8,iso100]

 

北側坑口までは石を投げれば入る距離です。

(まぁ、最初に100m先に見えた時だって、石を投げれば入る距離ですが…)

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/3200,F2.8,iso100]

 

こんなに立派なポータルだったでしょうか。

この隧道を通った記憶はほんの数回程度です。

幼い頃に、年に1回あるかないかという程度です。

そして、この隧道を通ると、そのまま両津方面へと抜けることが多かったと思われるため、北側坑口方面から隧道に入った記憶はほとんどありません。

もう1つ言うなら、自分の運転でここを通ったことはありません。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/3200,F2.8,iso100]

 

坑口の真下付近に立ち、矢柄側を望みます。

道路を越えて海岸線に土砂が流れ出しているあたり、年月を感じます。

その向こう側のモルタルの壁についてはあちらこちらがはげ落ちていますが、当然のように修復するような気配はありません。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/6400,F2.8,iso100]

 

ところ変わって、禿の高トンネルの南側坑口付近からの大島と三島です。

 

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[α7iii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/6400,F2.8,iso100]

 

最終的には、坑口を見上げた場所でUターンしてきました。

多分、坑口手前の斜面をよじ登ることは難しいことではなかったと思うんですが、この日履いていたのがバイク用のシューズだったもので…。

普通のスニーカーであれば難なくよじ登れたものと思います。

さすがに登れたところで、狭い坑口から内部へ侵入できるか否かについては疑問が残ります。

 

かつての「大倉走り」が現在も通過可能かも含め、またこの界隈をウロウロしてみたいと思います。

そうですね、今年はとっても蛇をたくさん見かけるので、蛇や蜂のいない12月以降3月までの間にでも…。

 

 

 

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また一気に遡りますが、4月21日の写真です。

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/2000,F2.8,iso100]

 

所用で南部地区へ行って来たんですが、平たく言えば"寄り道"です。

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1000,F2.8,iso100]

 

世の中的には、COVID19の影響で首都圏を中心に「緊急事態宣言」が発令され、

さらに、一部、自主的に「緊急事態宣言」を発令する県が発生したことを踏まえ、「緊急事態宣言」の発令が全国に広がった頃でした。

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1000,F2.8,iso100]

 

佐渡市についてもそうした状況を踏まえ、市民に対しは不要不急の外出を自粛するよう求めるとともに、

特に、「島から出る」ことと「島へ来る」ことについては強い口調で自粛が求めらるに至った頃であったと記憶しています。

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1000,F2.8,iso100]

 

その効果があってか、「緊急事態宣言」の解除に至るまで、佐渡市においてはCOVID19の感染事例は報告されていません。

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1000,F2.8,iso100]

 

そんな頃、人との接触を避けながら、まったくもって人の気配のない場所に立っていました。

こちら、大倉谷(Ōkuratani)にある漁港です。

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/4000,F2,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1600,F2,iso100]

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1000,F2.8,iso100]

 

タイトルに「陸の孤島」とは書きましたが、まさにそんな感じのところです。

ここから見上げたら、方角にもよりますが、まさに「ここは孤島の一角なんじゃないか??」なんて実感するに十分かと思います。

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/4000,F2,iso100]

 

真野湾を隔てて、対岸は大佐渡山地です。

このアングルだけを見ても、「ここは離島の中の離島です」と感じるに十二分かと思います。

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/8000,F2,iso100]

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/1600,F2.8,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/4000,F2,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/4000,F2,iso100]

 

こちらの漁港が現役なのか、廃漁港なのかについては未確認です。

しかし、この日見た感じにおいては限りなく"廃"に近い漁港になってしまったんだろうなと思うところです。

 

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[α7Sii,Zeiss Loxia Biogon T* 2/35,1/800,F2.8,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/200,F2,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/400,F2,iso100]

 

木切れには「노인봉 Noinbong(Peak) 7.1km」と記されています。

韓国の山のようですね。

韓国のとある山の山頂から7.1km離れたところに立っていたと思しきこんな標識が、どんな経路を伝ってこの真野湾沿いに流れ着いたんでしょうか。

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/640,F2,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/800,F2,iso100]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/800,F2,iso100]

 

隣接する、大倉谷の漁港等です。

「隣接する」とは書きましたが、この漁港等と上記の"廃漁港"の間には大きな溝が横たわっています。

「大きな溝」とは書きましたが、海端に続く、道とは言えないような"道"が水はけの悪さから水深30cmほどの水たまりが2つあります。

「水たまり」とは書きましたが、両方とも長さは10m以上あります。そして、想像以上に深くて長く感じることと思います。

車を降りて、"道"でない部分を歩けば諸々の心配もありませんが…。

 

ところで…。

一連のCOVID19の自粛関連において、個人的には日常に比べて相当の自粛を敢行してきたと自負しているところなんですが、、、

とある有名登山家が登山の自粛を提唱したところ、とある有名実業家(??)がこれに猛然と反発していました。

結果、COVID19に感染した登山者が遭難し、その救出にあたった救助隊の方が自宅療養になってしまったという…。

そんなお話も耳にしていたところでした。

 

ひょっとしたら、G/Wのあたりには、誰にも接することのない"秘境"へでも行こうかなんて思っている部分もあったんですが、

この日、「노인봉 Noinbong(Peak) 7.1km」の看板を見つけていた際に、足元に渦巻いているシマヘビの存在に気付いていませんでした。

シマヘビでしたから、噛みつかれようが絡みつかれようが無害だった訳なんですが、これがマムシだったら考えものです。

緊急事態宣言が解かれたからといって勝手気ままに行動し、

思いもよらない出来事によって人様にご迷惑にならないように気を付けねばと、改めて思ったところです。

 

 

 

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4月11日の写真です。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/3200,F14,iso400]

 

大倉(Ōkura)の海岸線にやって来ました。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/400,F11,iso400]

 

海岸線を進むと姿を現すのが、旧・大倉隧道のロックシェード部分です。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/100,F11,iso400]

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/100,F11,iso400]

 

海岸線から見上げるロックシェードです。

その上部の岩壁は写真で見るよりもオーバーハングして見えます。

いつ降ってくるのかも分からない雰囲気があるので、自然、岩壁とは距離を空けたくなります。

 

ここは「大倉走り(Ōkura Washiri)」と言って、かつての交通の難所でした。

交通の難所というか、まだ車道が無い頃のお話かと思います。

新潟県と富山県の県境にある「親不知・子不知」みたいな場所だったんだそうです。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/100,F11,iso400]

 

そして、ロックシェードの内部です。

こちらの写真をこちらへアップするのは2013年5月13日以来のようですが、その間にも1〜2回くらいは入り込んだ記憶があるような気がします。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/400,F14,iso400]

 

ロックシェードそのものは経年劣化は隠せませんがしっかりとしている感じです。

ただ、シェードと接地している山肌の路面がどんどんとシェード内に崩れ出ています。

もともと北側坑口の方面は埋め立ててあるようでしたが、南側坑口の方面は第1隧道の内部まで進むことができました。

この日歩いた感じでは、シェード内く崩れでた瓦礫によって第1隧道方面へ進むことは難しくなっていたようでした。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/400,F11,iso400]

 

この旧隧道より内陸部に開通している大倉トンネルは平成に入っての竣工です。

旧隧道は第1、第2隧道とも昭和一桁年代の竣工です。

特に、第1隧道は手掘りトンネルだっただけに歴史を感じました。

ロックシェードは比較的新しそうな感じがします。

いつも南側坑口方面からばかりアプローチしているので、今度はこのまま海岸線を伝って北側坑口がどのようになっているかを覗いてみたいですね。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/160,F11,iso400]

 

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[α7iii,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/3200,F2,iso200]

 

春の桜探しのドライブの最後は、思い切り行き当たりばったりの"廃道めぐり"になってしまいました。

 

この場所につきましては、表立って「立入禁止」等の表示がある訳ではありませんが、間違いなく立ち入りを歓迎しているような場所ではありません。

当ブログを読まれたうえでこのような場所へ立ち入り、何かしらを被ったとしても私どもとしましては責任を取りかねますので、

こうした場所へ来ようと思われる方におかれましては、くれぐれも自己責任において行動くださいますようお願いいたします。

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/160,F11,iso400]

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/160,F11,iso400]

 

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[α7Sii,FE 16-35mm F2.8 GM,1/160,F11,iso400]

 

「行き崖の駄賃」ではありませんが、禿の高トンネル(Hagenotaka Tunnel)の南側坑口付近からの夕景と、跳坂(Hanezaka)からの夕景です。

今となっては既に懐かしさすら感じる頃ですが、この頃はまだCOVID19による「緊急事態宣言」の発令の前段階でした。

何となく、春のうららかな陽気の中で、明るい未来ばかりが見えていた気がしました。

今となっては…です。

 

 

 

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春休みなんてありませんけど…。

今考えると、学生の頃にはあった10日ばかりの春休みってとても貴重だったんだなと思います。

まぁ、そんな訳で1日のお休みをいただきました。

 

そのお休みを使って桜を見たりだとか、朝の海を眺めたりだとか、達者に佇んだりしていた訳です。

朝の通勤の時間帯、仕事へと向かうであろう皆さんと逆方向に車を走らせるだけでも、ずいぶんと気持ちは楽になります。

達者を過ぎ、ずっと海岸線を北上しようかと思ったところ、急に思いついて山道へとハンドルを切りました。

 

可愛いカワイイ後輩が2年前の夏休みに足を運んだという「北狄川発電所跡」へと行ってみることにしました。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/160,F2,iso100】

 

リンク先の”彼女”の記事ですが、2016年8月21日に2本の記事をアップしています。

こちら「北狄川発電所」の記事については、ページ下部へスクロールの上ご参照ください。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/160,F2,iso100】

 

”彼女”の記事にあった発電所跡と同じ場所かとは思うんですが…。

とりあえず、発電所の建物そのものは姿を消していました。

ただ、”彼女”の記事には無かったとんでもない水圧鉄管を見つけました。

”彼女”に確認してみたところ、当の本人もこの鉄管には気づかなかったようで「ホントに私の行った発電所ですか??」と返って来ました。

たぶん、間違いは無いんだろうとは思いますが…。

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/2000,F5.6,iso640】

 

ちょうど2年前に東北電力より、こちらの発電所の廃止に関するプレスリリースがされています。(→こちら

リリースより4ヶ月後に”彼女”が足を運んでいますが、その際には「撤去のために林道を整備している」と記載があります。

撤去の工事がいつ行われたのかはわかりませんが、林道は雪もなくしっかりとしている様子でした。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/160,F2,iso100】

 

それにしても立派な鉄管でした。

鉄管が立派なのか、階段が立派なのか…。

とにかく、最初にこの景色を見つけた時には、その壮大さに「嘘でしょ??」と声に出してしまいました。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/320,F2,iso500】

 

世の中に「こんな急な階段があるのか…」と驚かされました。

登るにつれて、斜度は3段階ほど上がります。(急になります)

とりあえず、こんな景色を目の当たりにしてしまったら、考えるより先に「上ろう」と足が動いていました。

 

疲れました…。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1600,F2,iso100】

 

階段を上りきったら、どんな風に水路から鉄管へ水が送られているのかとか、上から見下ろす景色はどんな風かとか、興味は尽きませんでした。

しかし、鉄管は稜線に沿って無限に続いていました…。

ちょこっとだけ鉄管の上を歩いてみたんですが、あまりに先が見えなかったのですごすごとUターンです。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2000,F2,iso100】

 

さらに、上から見下ろした景色についても、斜面が急すぎた上に斜度が段階的に変わっているため、下が見えないという…。

まぁ、そんなことはどうでも良いくらい、未体験ゾーンに足を踏み入れた満足感の方が勝ってはいましたけど。

ただ、階段を降りる際には足が大笑いをしすぎていて、それに私自身が笑ってしまうほどでした。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/320,F2,iso100】

 

大笑いを続ける両足をなだめながら、今まで見たことも無いような急な下り階段を降ります。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1600,F2,iso100】

 

当然のように咲いている山野草ですが、こんなごつい送水管のすぐ脇に咲いていることが、現実感を伴いません。

そこは、力を抜いてあるがままの姿を受け入れるのみです。

かえって新鮮でした。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/640,F2,iso100】

 

”彼女”の記事の写真を見ても、”彼女”が訪れた先がこの場所であったのかどうか疑問が残ります。

林道はもっと先へ続いていましたし、googlemapを見るとこの奥にも建造物が写っています。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/3200,F2,iso100】

 

「そういえば、北狄の田んぼって見たことがなかったな…」

少しずつですが、水が張られ始めているようです。

 

そういえば、1年前にもこんな風景を見たなぁ…と。

その時は、まだ2月の末くらいでしたから雪が舞ったりしていました。

未踏の地に足を踏み入れるという意味においては少しずつですが、佐渡に足跡を増やしています。

 

もっともっと進んで「桜前線を追いかけながら日本列島を北上したい」

そんな優雅な時間が訪れるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

 

 

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名勝佐渡海府海岸にあって唯一無人な集落が鹿ノ浦(かのうら)です。
ここを流れる中ノ川という川は慶長期に鉱毒が流れたそうで、集落そのものが片辺(かたべ)へ移動したんだそうです。
平成15年に鹿ノ浦バイパス(鹿ノ浦大橋と鹿ノ浦トンネル)、翌年には南片辺トンネルが開通しましたが、それ以前は海府道でも1〜2の難所と言われた場所です。

佐渡一周線は昭和43年に海府大橋が架かったことで開通しましたが、工事は大正期から続いていました。
戸中(とちゅう)までは大正期に隧道が完成していましたが、この鹿ノ浦道が開通し、相川と高千が結ばれたのは昭和9年のことです。
現在の鹿ノ浦大橋を車で渡ると、山側の急斜面にかつての旧道が心もとなく繋がっているのが見えます。

今でこそ立派な橋と太いトンネルが走る海府道ですが、ほんの10年ちょっと前まではスリリングな箇所はたくさんありました。
その最たる場所がこの旧鹿ノ浦トンネルへと続く幅員わずか3m程度の道でした。

DSC01192.jpg
【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/250,F2,iso100】

最後に私がこの旧道を通ったのは、佐渡へ帰って来た平成15年の秋です。
当時の相川町の観光協会主催のトレッキングに参加するため、マイクロバスに乗ってここを通りました。

大型車のすれ違いなんてできない細い道です。(しかも、断崖絶壁…)
突き当りのトンネル入り口まで差し掛かったところで、対向車の大型車両とかち合ってしまい、両者とも身動きが取れなくなってしまいました。
結局、対向車(2〜3台はあったハズですが…)が229mのトンネルを後退してくれたことで何とかすれ違うことができました。
この狭い旧道らしい記憶が最後に残っています。

DSC00959 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/60,F11,iso640】

その時に見て以来、この角度から鹿ノ浦大橋を望みます。
自分の運転でこの道を走ったのは、仮免許中に1度あったくらいです。
小さい頃からたまに通るこの車窓はアスレチックのようなスリルに満ちていました。

DSC00962 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/80,F11,iso640】

舗装は剥がされ、藪に覆われています。
そんな薮に覆われた落石防止ネットとモルタル塗りの法面が、辛うじてこの場所に道があったことを今に伝えています。

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【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/400,F5.6,iso100】

振り返って。
思っていたよりもずっと細い道です。
軽自動車でも通るのは嫌かも知れません。。。
「鹿ノ浦の難所四十二曲がり」恐るべしです。

DSC00970 (1).jpg
【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/125,F11,iso100】

昔はここから見える景色は青く底の透けた海だけでした。
今は水平線の見えるあたりに橋が架かっています。
よくぞあんなものをこしらえたものです…。

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【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/160,F5.6,iso160】

そして断崖の道の突き当りにあるのが、旧鹿ノ浦トンネルです。

DSC01203.jpg
【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/640,F2,iso100】

昭和9年竣工です。
長さは229m。
銘板の文字は右から「鹿ノ浦隧道」です。
銘板は比較的新しくはめ込まれたもののように見えますが、ポータル部分は痛みが激しい感じです。

何せ昭和9年竣工ですし、隙間から伺い見ることのできそうな内部はどんなに荒れているのかと思ったんですが…。

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【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/30,F5.6,iso1600】

伺い見るどころか、普通に内部に入ることができます。
意外にも内部は驚くほどキレイな状態でした。
もともと手掘りのようなトンネルで、後年になって吹き付け処理が施されましたが、まったくもってキレイでした。
唯一、照明の吊り下げ器具が外れてはいましたが…。

ちなみにもともとこのトンネルに照明はありませんでした。
照明が設置される契機となったのは「佐渡国際トライアスロン大会」ですが、それ以前までは真っ暗な状態(上の写真の状態)でした。

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【α7S,LA-EA4,Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM,1/250,F5.6,iso125】

無事に帰還の図です。
まぁ、道そのものはしっかりとしているので、無事も何もあったもんではありませんが…。
いちばん大変だったのは、イバラがバリバリと絡みついてくることでした。。。

前述した「鹿ノ浦の難所四十二曲がり」についてですが、この場所はほんの“さわり”の部分なんじゃないかと思います。
相川側からこの場所を抜けると、現在の南片辺トンネルの海岸側にはこれまたスリリングな旧道が残っています。
そこを通り抜け、南片辺まで至る旧県道45号線付近を“四十二曲がり”と言うんだと思います。
もちろん、車によって走破することはできませんが、一部は現在も農道のように利用されていますから、また別の機会に足を踏み入れてみたいと思います。

なお、これらの廃道についてですが、「立入禁止」のような表示等はありませんが、基本的に人が立ち入るようなことは想定していない場所かと思います。
例えばこの記事をご覧になった方が立ち入ったとして、その結果何か不具合が発生したとしても私としては責任は負いかねます。
立ち入る際は、すべてにおいて自己責任となることをご承知いただきたいと思います。


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カテゴリに「佐渡の廃道・廃墟」なんてものを追加して久しいんですが、このカテゴリで記事を書くのはようやく2回目です。
もっともっと色々行きたかったところはあるんですが、いかんせん時間が足りません…。
前回の記事(=佐渡廃道めぐり 〜 大倉走 〜)から早や2年近くが経過してしまっていました。

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

という訳で、中山街道です。
今の中山トンネルの相川側の坑口より約300mほど相川寄りにこの旧道の入口があります。
キリシタン塚を越える「旧・中山街道」の後を受けて明治18年に「掘割新道」として開通した道路です。

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1000,F2,iso100】

「掘割」のその文字の如く、地面を切り裂いて開通させたような道路です。

【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

道幅としては、大型車もすれ違い可能な2車線道路として十分なものと思うんですが、センターラインもない無骨なコンクリ敷きです。
これは昔から変わっていません。
ここを路線バスも走っていたんですよね…。

【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

道の両側はガードレールも車止めもなく水路が切られています。
今の中山越えの道路も、中山トンネルから沢根にかけては、冬場によく車が落っこちていますが、こちらも当時はしょっちゅう車が落っこちていました。

現在の中山トンネルは1,989年(平成元年)3月に竣工ですから、この道路はそれまでが現役だったということになります。
しかし、今現在も、この道路の突き当り付近に日本道路(株)佐渡出張所があり、車の往来はあります。
また、この道路の入口付近の旧・中山街道もそれなりの利用があるため、人の出入りは少なくはないようです。

【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/2500,F2,iso100】

突き当り付近に当時のまま設置されている看板です。
現在、車両で乗り入れできるのはこの場所までです。

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/100,F5.6,iso400】

その看板から50mほど奥にあるのが旧・中山トンネルの相川側の坑口です。
手前の道路は崩れた法面の土砂と流れ出た地下水に覆われています。
この付近一帯のみ廃道然とした雰囲気が満載です。

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/100,F5.6,iso400】

ポータルに残る「中山隧道」の銘板が見えます。
開通は大正13年。
長さ363mは、当時としては禿の高トンネル(427m)に次いで佐渡で2番目を誇りました。
禿の高トンネルの竣工が昭和35年ですから、それまでは佐渡一長いトンネルだったんですね。

私自身は、このトンネルを自分自身で運転して通ったことはありません。
新・中山トンネルの竣工時はまだ小学生でした。
そのかわり…といっては何ですが、幼稚園の頃から「お絵かき帳」の最初から最後までこのトンネルの絵を描いていました。。。
(当時のお気に入りは「高速道路」「トンネル」「天気図」でした)

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/200,F5.6,iso400】

今、坑口に立ってみるとその小ささをより実感してしまいます。
当時はそれでも大きくて立派なトンネルかと思ったんですが、しょっちゅう渋滞を起こしていた気がします。
バスや大型車同士がかち合うとパッシングで合図を送り合い、片方が通り抜けるまで、もう片方は待機でしたから…。

怖かったのは雨の日でした。
ボロっちいと思ったのは当時からです。
壁がしょっちゅう剥げ落ちていましたから、雨の日はトンネルの中の至るところから地下水が噴き出ていました。
いつ崩れてもおかしくないような印象しか残っていません。

1度だけ父親に連れられて歩いて通ったことがあります。
当然のように歩道なんてありませんから、結構危険極まりなかったんだなと…。
そんな思いでが満載の旧・中山トンネルです。

【α77,SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM,1/50,F5.6,iso400】

余談ですが、、、

「心霊スポット」とかそいうのがあるのかどうなのか知りませんけど、そういう意味でも有名な場所らしいです。
…が、私自身がその類の話を一切信じていないこともあるため、そんな怪奇現象は一切起こる場所でないと断言しておきたいと思います。
これは、このトンネルの上を通る旧・中山街道やキリシタン塚についても同様です。

ちなみに、これは私の確認不足の部分なんですが、、、
掘割新道が明治18年の開通で、旧・中山トンネルの開通が大正13年ということですが…。
では、その両者の間に横たわる40年の歳月の差とは一体何なんでしょうか??
私の認識では掘割新道の開通とは、中山トンネルの開通も含めての意味合いと思っていたんですが、これでは合点が行きませんね。

一方「掘割新道」は私の勝手な思い込みの部分もあり、私はずっとこの旧道がそれであると信じてきましたが、どうやらそうでない可能性もある訳ですね。
このあたり、今後も継続して調べてみたいと思います。

坑口付近に立って、山の向こう側の現道を行き来する車の流れの音が、この旧道まで響いているのが印象的でした。


 

現在は伝統文化と環境福祉の専門学校となっていますが、その一角に古い木造の校舎と体育館が残されていました。
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【α99】+【50mm F1.4】
-- 50mm 1/1,600sec F2.0 ISO=100 --
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【α77】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/250sec F8.0 ISO=200 --
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【α77】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 10mm 1/125sec F8.0 ISO=200 --
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【α99】+【50mm F1.4】
-- 50mm 1/640sec F2.0 ISO=100 --
既に大半は取り壊されており、廃墟のようになっていました。
…というより「廃墟のような状態になっていたため取り壊される」のかも知れません。
国道350号線を両津方面から相川方面へ向かう途中、ふと視界に入って来た光景でした。
既にその大半が散り落ちてしまった銀杏の木と、大半は壊されてしまった校舎の風情が切なく映っていました。
校舎が消えたあと、この銀杏のきだけは残るんでしょうか…。


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唐突ですが、廃墟や廃道というようなテーマには興味のあるところでした。


もともと私の住む相川地区には佐渡金山に纏わる遺跡群が数多くあり、それらは現在のようにスポットを当てられる以前は
それこそ巨大な廃墟となっていました。

その最たるところが、大間(おおま)町にあった火力発電所でした。


現在は建物そのものが取り壊されてしまいましたが、夕闇が迫る頃には付近を歩くのもおっかないようなところで、
鉄格子だけが残った窓や、サビついた梯子、蔦の絡まった無機質なコンクリの壁などが印象に残っています。


私にとっては、私の潜在意識の中に、廃墟に対して興味を持つファクターは充分にあったんだと理解しています。


昨年「廃道 棄てられし道」(写真・丸田 祥三 文・平沼 義之)という写真集を購入したんですが、現在に取り残されている「過去」の放つ威光というか、何というか・・・。

人の手によって命を吹き込まれ、やがて役目を終え、しかし今もなおそこにあって新たな役目を果たしているような、役目を待っているような・・・。


そんな姿を佐渡の中からも探してみたいなと・・・。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/250sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


まぁ、そんな前置きはどうでも良いとして、昨日車を走らせていた海府道から唐突にこの場所へ足を踏み入れてみました。


「佐渡の親不知」こと「大倉走」

現在は海岸線からやや内陸部分に直線の大倉トンネルが開通していますが、かつての主役はこの旧・大倉隧道です。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/50sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


現在の大倉トンネルは平成3年に開通とのことですが、それまではここを車が走っていました。


平成3年といえば、私はまだ中学生の頃です。

もちろん、数は多くはないですが、何度かここを走ったことはあります。(ただし、自分の運転で走ることはありませんでした・・・)


しかし、こうして海岸線に降りてみることは初めてでした。

なぜ、こんなロックシェードが必要だったのか、、、


想像以上に頭上に張り出した岸壁群を見て、身を持って理解しました。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/160sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


海岸線から岩場を伝ってロックシェードの内部に到達しました。



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【α100】+【Vario Sonnar T* DT16-80mm F3.5-4.5 ZA】
-- 16mm 1/125sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


思ったより、風化してもいないように見受けられました。

もっと草や藪が生い茂り、足元のアスファルトも土砂に埋没しているかと思ったんですが・・・。


しかしながら、思った以上に狭い道でした。

こんな道をバスなんかも走っていたんですよね。


このシェード内に降り立つこと自体が初めてだったんですが、いちばん驚いたのはその点でした。



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【α100】+【Vario Sonnar T* DT16-80mm F3.5-4.5 ZA】
-- 16mm 1/60sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


相川よりの手掘りトンネル内からです。


旧・大倉隧道は相川川から「第1大倉髄道」そしてロックシェードを経て「第2大倉隧道」と続きます。

第1、第2隧道の坑口部分は封鎖されています。


これらの隧道の開通の歴史は古く、明治時代に遡るそうです。



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【α100】+【Vario Sonnar T* DT16-80mm F3.5-4.5 ZA】
-- 16mm 1/60sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


何となく“本家”である「親不知」のトンネル群を彷彿とさせる場所です。

親不知のトンネル群も新旧の道路が入り混じっており、並行している旧道は、そこを通過するたびに「歩いてみたい」と思わせてくれます。



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【α100】+【SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 HSM】
-- 8mm 1/60sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --


やたらと波の音がシェード内に響いていました。

あまり時間をかけすぎると、潮が満ちてしまい来た道を戻れなくなりそうな気がしたため、早々にこの場所を後にしました。


今回は“さわり”の部分だけということで、、、

まぁ“次回”があるのかどうかはわかりませんが。。。


考えてみたら、私、幼稚園児の頃は“お絵かき帳”の最初のページから最後のページに至るまでトンネルの絵を描き続けた人間です。

佐渡金山の遺跡群が云々と言いましたが、もっと別のところでこのような場所へ興味を持つ素質はあったんだなと。

今になって思い出したところです。



佐渡一周線沿いにはすれ違いが困難な箇所があり、現在もなお新道が建設されては、旧道が生み出されています。

特に、この「大倉走」のような海岸線に沿ったか細いトンネルは、軒並み内陸部に巨大なトンネルが建設され、廃墟の道へと追い込まれています。


外海府海岸線にも、この「大倉走」から相川市街地へ至るまでに4箇所ほどそういった場所があります。

もっとも、山間部には廃道とも現道とも区別のつかないような林道は多数ありますが。。。



そのあたりも含め、新しいカテゴリの中でお伝えしていけたらと思います。(勝手な個人の趣味ですが)

次回は、戸中トンネルの旧道あたりに潜り込んでみたいですね。