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31年目の夏

2016.08.12 Friday

 

今年も暑い1日でした。

 

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【α7S,LA-EA4,70-300mm F4.5-5.6 G SSM,1/200,F5.6,iso8000】

 

1985年8月12日。

日航123便墜落事故から今日で31年目を迎えます。

事故の風化への懸念が叫ばれて久しいですが、事故を知らない世代の方が慰霊登山に望んだり、

今なお多発する輸送機関の事故によるご遺族の方々が手を取り合ったりと、「御巣鷹の尾根」は「安全への祈り」の場として新たな役割を担っています。

 

この事故から31年。

この間、日本の航空業界では乗客に死者を出す事故は1度も起きていません。

その意味においては、安全への祈りはしっかりと伝えられ、犠牲となられた520名(*)の命の灯は燃え継がれています。

 

私自身、前回の慰霊登山から早や2年が経過しました。

事故当時を知る写真家・小平尚典氏による動画「御巣鷹の尾根はやさしい風に包まれていた」を見て、今年もまた足を運べたらという気になっています。

 

ご遺族の方におかれましては、この日を境にまた悲しみを新たにしていることとお察しいたします。

遠く佐渡より、ご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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関連リンク先
「8.12連絡会」

 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

 

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御巣鷹の尾根にて 〜 30年目の夏 〜

2015.08.12 Wednesday


1985年(昭和60年)8月12日 18時56分。
単独の航空機事故としては世界最大の惨事となった「JAL123便墜落事故」が発生したのは30年前の今日です。

私はこの事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を切に願ういち個人として3年前に初めて「御巣鷹の尾根へ」と足を運びました。
すべての墓標に手を合わせることができず、必ず再訪すると自分に誓ったところですが、昨年9月にようやく2度目の慰霊登山に行くことができました。

私にできることは何もありませんが、最も恐るべき「事故の記憶の風化」という点に対し、何かしら「伝える」ことができたらと願っています。
以下に掲載するのは、そんな思いを持って臨んだ昨年の慰霊登山の際の写真です。

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3年前は長野県側から十石峠を越えてきました。
今回は国道を乗り継ぎながら、神流川沿いを車を走らせて来ました。

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神流川沿いの国道462号線はとても狭く、崖にそって曲がりくねった道の連続です。
事故当時、大勢の報道陣や警察車両、関係車両が列をなした光景を想像しながら走っていました。

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あの日、東京発大阪行きの123便が、32分間の迷走飛行の末に墜落したのが御巣鷹の尾根です。
520名(521名)の命が失われ、しかし、同時に4名の命が救われた聖山です。

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かつての登山道入り口には今も観音様が立っています。
渓流釣りとしても名高い神流川ですが、ここより上流は“聖域”として釣りをされる方も入渓を自粛しているんだそうです。

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現在の登山道入り口です。

ここへ来るまでの長い長い道中。
事故当時は今のように舗装道路が通っていたハズもなく、錯綜する情報に振り回されながら大勢の方が墜落地点の特定に急いでいました。
「こんなに山深いところに、しかしどうやって…」
2年前の曖昧な記憶よりずっと遠く感じたこの道中、ずっとそんなことを考えながらハンドルを握っていました。

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昨年あたりから、事故機のCVS(コックピット・ボイス・レコーダー)の解析に進展があったり、長年の沈黙を破っての新証言があったりと、
30年を経てなお多くの“新事実”が浮かび上がっています。

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1987年に当時の事故調が --- いわゆる“公式”の --- 事故調査報告書を公表し、この事故の原因は結論付けられたこととされています。
しかし、未だに残る多くの“なぜ”を解明しようとする多くの関係者の尽力により、薄皮を剥ぐように新事実があぶり出されているんだと思います。
「8.12連絡会」をはじめとした多くの方が望む「再調査」への声。
これら新事実も、そうした多くの声の1つと思います。
再調査を切に願います。

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高齢化が進むご遺族の方でも歩きやすいようにと、登山道はとてもよく整備されています。
現在の登山道入り口から「昇魂之碑」までは、距離にして800m、高低差で180mです。
かつては距離にして約2km、高低差500mもあった登山道ですが、林道を延長するなどしてずいぶんと短縮されたそうです。

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登山道入り口には多数の杖が備え付けてあり、誰でも自由に使用できるようになっています。
今年は30年目の節目ということもあり、慰霊登山者の数は過去5年間で最多となっているそうです。

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「JAL123便墜落事故」だけでなく、各輸送機関における事故の遺族の方にとっても、この御巣鷹の尾根は安全への祈りの場となっています。

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登山道を歩き始めて5分ほどで「すげの沢のささやき碑」に到着します。
側のポストには、JA8119号機(事故機)が御巣鷹の尾根に激突するまでの経緯や、墓標の位置が示された図が設置されています。
ここで墓標の位置図を手に取りました。

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ささやき碑をすぎて続く登山道です。

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歩きやすいように階段や手すりが設置してあります。
捜索にあたった当時は、それこそ獣道もないような状態の斜面だったと思います。
こんな山奥で助けを待った大勢の方々…。
そして、そこへ向かった大勢の方々…。
一段一段をしっかり噛みしめるように足を進めます。

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この日、この登山道では相当数の方とすれ違いました。

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私が駐車場へ到着するのと時を同じくし、既に駐車場にあったマイクロバスからは大勢の方が降りてきました。
そのほとんどがご高齢の方に見えました。
ご遺族の方々かと思ったんですが、ガイドさんと思しき方が先導して歩いて行った一団はどうやら事故の関係者では無さそうでした。

「ハイ、一休みしたら出発しますよ。あともうひと頑張りですよ!」
何となくこの場に似合わないような軽快な声が響いていました。

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休憩小屋やベンチが並び、そして遺族有志の祈りの看板が目に入って来ました。
御巣鷹の尾根に激突し、引きちぎれた機体後部が木々をなぎ倒しながら滑り落ちた斜面です。

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その斜面の突き当り、写真中央に見える橋を渡ったあたりの1.5m四方の空間から4人の生存者が発見されました。
生存者の方の証言によれば、墜落直後、この谷には大勢の方の声や荒い息遣いが響いていたんだそうです。
墜落から約2時間後には救難隊のヘリが現場上空まで達していますが、夜間救難装備の不備などで救助活動を行えなかったといいます。
そうしているうち、しだいに息遣いや声は聞こえなくなっていったんだそうです。
生存者の方が発見され、救助されたのは事故の発生から16時間後のことでした。

写真の右端に青いトタン屋根の祭壇が見えます。
3年前と同様、最初のお焼香をさせていただきました。

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3年前には足を踏み入れることの無かったすげの沢の上部です。
霧が立ち込め、時折雨が落ちてきました。
先ほどまではマイクロバスの一団や若い方々の一団の姿があり、時折話し声も聞こえてきましたが、いつの間にかあたりはシンと静まり返っていました。
クマよけの鈴の音だけが鳴り響いていました。

あの日、助けを待つ多くの方々はこんな場所でこんな景色を見ていたのだろうかと思うと胸が痛みました。

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昇魂之碑に近づくと、焼け焦げた木が何本か目に入ってきました。

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将来を嘱望された女優の方。
プロ野球球団の社長。
大好きな高校野球を観に1人旅に出た少年。
様々な方の様々な未来がこの場所で断ち切られたと思うと胸が詰まる思いがしました。

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山頂付近の祭壇です。
ご遺族の方の「あれから」を伝える手紙や、亡くなられた方への思いを綴った手紙など、たくさんの“祈りのかたち”がありました。
人々を魅了した有名歌手の方の笑顔がこちらを向いていました。

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墜落地点に立つ観音様です。
そして亡くなられた方の名前が刻まれた碑が並んでいます。

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「1985年8月12日18時56分26秒 羽田発大阪行日本航空123便 JA8119号機ここに墜落」
「524名搭乗 乗客505名死亡 乗員15名死亡 乗客4名生存 1988年8月遺族これを建立す」

墜落地点を記す碑です。
そっと手を置くと、日中の陽射しの名残が暑く残っていました。
あの日もとても暑い1日だったそうです。

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そして「昇魂之碑」です。
事故の発生から東奔西走し、亡くなられた方の魂を守ることに尽力された故・黒沢丈夫 元上野村村長の書による碑です。
ここに最後のお焼香をさせていただきました。

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下山の途に就きました。
先ほどからの雨で階段が滑り、何度か足を踏み外しそうになりました。
数などは数えませんでしたが、目に入った墓標全てに限りなく近く手を合わせることはできました。

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もう1度すげの沢を振り返ります。
「4人の命が救われた聖山」
この言葉が頭をよぎりました。

しかし、わずか1.5mの差が明暗を分けたのだとしたら、その差は一体何だったんだろうと…。
あまりに無情で、そして無慈悲な仕打ちに思えてなりませんでした。

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登山道を降り、駐車場へ戻った時、既に私の車以外の車両は姿を消していました。
こうして2度目の慰霊登山を終えました。

我に返って、何も救われていないような気持ちになってしまったのは何故なんでしょうか…。
しかし、このところ現れた心境の変化としては「飛行機に乗ってみたいな」というものです。
私が飛行機を怖いと思うこととなった契機はこの事故ですが、知ることによって得ることができた心境の変化でもあります。
これはCVRから伺い知ることのできる「4人の命を救った名パイロット」の懸命な姿に感銘を受けたからにほかなりません。

30年というひとつの節目を迎え、しかし、ご遺族の方は今日また悲しみを新たにしていらっしゃることと思います。
せめて、この事故で犠牲となられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方のご健康を心よりお祈り申し上げます。
そして同時に、一刻も早く、この事故の真の原因が究明されることを切に願います。

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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
  妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク先
「8.12連絡会」
 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
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29年目の夏

2014.08.12 Tuesday

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今年もまた8月12日がやってきました。



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1985年(昭和60年)8月12日。

乗員乗客合わせて520名(*)もの方が犠牲となった日航機墜落事故から今日で29年となりました。




18時12分に羽田空港を発ったJAL123便は、ここ伊丹空港に辿りつくことなく、32分間の迷走飛行の末
皮肉にも当初の到着予定時刻であった18時56分に、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。

事故当時小学校の低学年だった私は、繰り返し報道される事故のニュースにただならぬ恐怖を覚え、以来「飛行機は墜ちるもの」
という認識を持つことになりました。


ここへ来て --- 29年という歳月を経て --- コックピット・ボイスレコーダー(CVR)からは新たな「事実」が浮かび上がっています。

公式の事故調査は、1987年に当時の運輸省が「航空事故調査報告書」を公表したことで終了とされていますが、
いまだ解明されていない多くの「なぜ」が存在し、ご遺族の方を中心に再調査を求める声は止むことがありません。


私も空の安全を願ういち個人として、例え何年かかろうとも真相が究明されることを切に願っています。



今年も、大勢のご遺族の方が様々な思いを胸に御巣鷹の尾根へ向かわれたことと思います。

私は無力ですが、せめて思いを文字として発信することで --- たいへんおこがましいですが --- 何かしらのお力になれたらと思います。



この事故で犠牲となられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方のご健康を心よりお祈り申し上げます。





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(*) 死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
     妊娠6か月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク

「8.12連絡会」・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページ。

 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページ。

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520の夢桜

2013.08.12 Monday

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滋賀県大津市にある石山寺にいました。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/40sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

関西圏ではそろそろ梅雨明けかと思われた、カラリと晴れ上がった暑い日でした。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 70mm 1/50sec F11.0 ISO=200 多分割測光 WB=曇天 --

紫式部ゆかりのお寺だそうで、紫式部はこのお寺にお篭りした際に「源氏物語」の構想を描いたんだそうです。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 55mm 1/160sec F4.0 ISO=200 多分割測光 WB=曇天 --

山門から望む境内は眩しいくらいに緑が輝き、観光地然とはしていましたが、静寂と凛とした雰囲気に包まれていました。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 35mm 1/25sec F3.2 ISO=200 多分割測光 AWB --

さて、今日8月12日は、あの日航123便墜落事故からちょうど28年目にあたります。


昨年、おこがましくも御巣鷹の尾根に慰霊登山をさせていただきました。

私は事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を願ういち個人としての行動です。


すべての墓標に手を合わせることができなかったため、今年も必ず慰霊に向かうと自分に誓ったところだったんですが、
今年に入り、登山道で発生した土砂崩れにより、御巣鷹の尾根への立ち入りは非常に期間限定的なものに制限されています。

9月中旬以降、規制が解除される見込みのようですが、8月中はご遺族や関係者の方が多数登山されることと思い、
私個人のような者としては、立ち入りを自粛させていただくことが自然な流れと判断していたところです。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 35mm 1/160sec F11.0 ISO=200 多分割測光 WB=太陽光 --

それでいて“無念”という思いのあったところ、たまたまこのお寺へ足を運ぶ機会を得ました。

まったくの偶然です。


所用で滋賀県に来ていたんですが、用務の終了後が休日にあたっていたこともあり、さらに休暇をいただき、このお寺を訪ねさせていただきました。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 35mm 1/30sec F5.6 ISO=200 多分割測光 WB=曇天 --

このお寺に植えられた520本の桜こそ、日航123便墜落事故で犠牲となられた方々の命を“永遠”に灯すための「夢桜」なんです。


「慰霊」の気持ちを持ってこのお寺に足を踏み入れることは、多少“場違い”であったのかも知れませんが、
そんな人間もいたということを、ご容赦いただけたらと思います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 55mm 1/80sec F11.0 ISO=200 多分割測光 WB=太陽光 --

私に出来ることなんて何もありません。


しかし、いちばん懸念されていることが「事故の記憶の風化」ということであれば、多少なりとも文字や記録にして発信することで、
何かしら --- 本当に小さなことであっても --- お役に立てることができたらと思います。


この場をお借りし、改めてこの事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 70mm 1/400sec F5.6 ISO=200 多分割測光 WB=太陽光 --

事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。

しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。


連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。

乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。


機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。

絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。

私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/30sec F8.0 ISO=250 多分割測光 AWB --

ご遺族の方も、28年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。


どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。

想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 70mm 1/125sec F3.2 ISO=250 多分割測光 WB=太陽光 --

1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、

「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」

と結論付けられています。


事故から遡ること7年前。

同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、この事故が引き起こされたとしています。


実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/30sec F8.0 ISO=400 多分割測光 WB=太陽光 --

しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。


垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。

さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。


まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままなんだそうです。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/60sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。


こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。

しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。

(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)


原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/20sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

昨年からB787のトラブルが続出し、世界の空が騒がしいものになっています。

一旦は運行停止措置がとられ、一連のトラブルについての調査が行われましたが、結局、根本原因を究明できないまま、今も世界中の空を飛び続けています。


そんな中(B787とは別に)7月にはアナシア航空便がサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗。

今月5日には、大韓航空機が新潟空港でオーバーランを起こすなど、死亡事故を含め、重大インシデントに認定される事故は多発しています。



これらの事故については、事故調査は始まったばかりですが、原因の究明こそが事故を無くすための最善の策だと思います。

どうしたって“想定外”はつきものですが、一刻も早く原因が究明されることを切に願います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
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日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来28年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。

そういう意味では、日本の空の安全は着実に守られているんだと思います。


そしてそれは、ここに灯る520の命の炎の存在を抜きにしてはあり得なかった未来なんだと思います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 60mm 1/50sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

私はこのお寺とこの桜のことを、こちらのサイトで知りました。


28年前にこの事故で三女を亡くされたご遺族の女性が3年間をかけて520本の桜の苗木を植えたそうです。

植えた先が次女の嫁ぎ先であった、この石山寺なんだそうです。


そこには「この世での寿命は短かったけれど、桜なら何百年も生き続けられる」という“永遠”の思いがあったそうです。

女性は、娘さんが亡くなった年齢と同じ22年後に初めてこの桜の花を目にしたといいます。



今回私が訪ねた季節は夏の真っ盛りでした。

当然のようにこの桜が咲いている姿を見ることはありませんでした。


いつか満開の「夢桜」を見ることができたら。

その時は私も“永遠”に祈りを捧げたいと思います。



繰り返しになりますが、この事故で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の皆様のご健康をお祈り申し上げます。



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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
  妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク先

「8.12連絡会」・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。

「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

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御巣鷹の尾根にて

2012.08.13 Monday

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1985年(昭和60年)8月12日

単独の航空機事故としては世界最大かつ最悪の
「日本航空123便墜落事故」は27年前の昨日、発生しました。

乗客乗員合わせて520名(521名)(※)が犠牲となったこの事故は、当時小学生だった私の記憶に「日航機墜落事故」として残っています。


私はこの事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を願ういち個人として、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
この事故を絶対に風化させないという
「8.12連絡会」をはじめとするご遺族の方々の強い思いのうちの一翼の、せめて一片の羽にでもなれればと思い、
おこがましくもこの夏の初めに慰霊登山に向かわせていただきました。

以下に掲載する写真はその時のものです。



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【登山道入口まであと3.4km】

事故当時、テレビの画面に延々と映し出されていたカタカナの乗客名簿と、読み上げ続けられていた搭乗者の方々の名前…。

小学2年生だった私も、何かとんでもないことが起きたんだということと、夏にも関わらずとても背筋が寒くなるような恐怖感を抱いたことを覚えています。

そして、この時から、私にとって飛行機とは安全な乗り物ではなくなっていました。


今年、12年ぶりに飛行機に乗りましたが、搭乗を決意するまでに半年以上の時間を要してしまいました。

よく飛行機の安全性の例えとして「飛行機は一番安全な乗り物」と言われたりしますが、私にとっては「飛行機は墜ちるもの」なんです。

そして、その半年間で飛行機の安全性について自分なりに色々と調べていた結果、たどり着いたのがこの事故のことでした。


私の記憶に残っていた「4人の生存者」と「オスタカヤマ」というキーワード。

これらを改めて思い起こすとともに、知らなかった事故の概要をこの機会に知ることができ、改めてこの事故の大きさと悲惨さを知りました。


今年「御巣鷹の尾根」では犠牲者の方と思われる骨が見つかったそうです。

ご遺族の方々の高齢化が進み、事故の記憶が風化することが懸念されていますが、27年の歳月を経て新たな骨が見つかったということは、
犠牲になられた方からの事故の風化や、各輸送機関の安全性への軽視ともとれる価格競争への警鐘(メッセージ)の1つなのかも知れません。

一方、今年の慰霊登山には、事故を知らない若い世代の方が大勢参加されたようで、空の安全への祈りは着実に受け継がれています。



私にできることは何もありませんが、せめて現場付近の様子をお伝えすることで、何かしらのお役にたてることができたらと思います。

改めて、この事故で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方々のご健康をお祈り申し上げます。



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【登山道入口付近より御巣鷹の尾根の方面を望む】

当初は関越道側から上野村を目指すつもりだったんですが、地図を見た限り、相当な距離がありそうだったので、長野方面から
十石峠を越えてきました。


登山道入口に辿り着くまで、相当数の車とすれ違いました。

すれ違うたび「ご遺族や関係者の方だろうか?」と、考えていました。


しかし、林道終点の駐車場には1台の車が停まっている限りで、ずっと私の後ろをついてきたバイク2台も、駐車場で降りることなく引き返して行きました。



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【登山道の入口】

登山道の入口に到着しました。


長い道中でした。

途中、何本ものトンネルをくぐって来たんですが、急カーブに照明の少ないトンネルがあり、そのまま闇へ吸い込まれてしまいそうに感じたりもしました。

細い林道には、小さな落石がたくさんあり、それを避けながら走ってきました。


登山道の入口に立って「私なんかが来ても良いのだろうか?」と、足を踏み入れることに躊躇してしまう自分がいました。



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【登山道】

登山道はとても良く整備されています。

駐車場から「昇魂の碑」までは、高低差が約150m、距離にして約800mです。

ご高齢の方でも歩き易いように、手すりが設置されています。


登山道を入ってすぐのところに熊よけの鈴が設置されていますが、その先の道中を考えれば持参した方が良いでしょう。

私は持参したんですが車に忘れてしまい、取りに帰るのも面倒だったため、ハラハラしながらも鈴なしで歩いてきました。



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【ささやき碑】

登山道を歩き始めて5分ほどで、水のみ場と慰霊碑「すげの沢のささやき」に到着します。


ここには「御巣鷹の尾根」の案内図があり、日航123便の墜落に至るコースと経過が細かく記してあります。

すぐ側にはポストがあり「(案内図を)ご自由にお持ちください」とあったのですが、中には何も入っていませんでした。


この事故の最終的な経緯やその後の安全に関わる重要な資料に見えたので、残念でした。



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【ささやき碑を過ぎて】

なおも登山道を進みます。


登山道の向かって右側にはすげの沢のせせらぎが響いています。

鮮やかな緑色と相まって清涼感はありましたが、私は冷や汗に近いような汗をたくさんかいていました。



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【なおも続く登山道】

私にとって決して大層な山道とは思えませんでした。

しかし、この神聖な山に赴くだけの覚悟が足りなかったのかどうか、やたらと苦しく、とてもしんどかったです。


緊張のせいか、体中から汗が噴き出していました。



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【山小屋】

ご遺族の方の休憩のためのベンチと山小屋に到着しました。

墜落した機体や遺体が散らばった箇所に差しかかろうかという場所です。


十石峠へ向かう途中、長野県側の町で買ったお線香がちゃんとバッグに入っていたかを確認しました。

タバコを吸わなくなって、ライターを買ったのも久しぶりでした。



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【遺族有志の想い】

「あなた やってきましたよ きこえますか 見えますか あなたと話したい あなた 言いたいことは・・・」

「さよなら も 言えずに 旅立ったあなたたち やすらかに 永遠の 祈りをささげます」


これを読んだだけで、グッとこみ上げてくるものがありました。

会いたくても、話したくても、それはもう永遠に叶わぬことです。

「さよなら」も言えず・・・。


520名の方の命は「奪われたもの」ということを改めて認識しました。



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【御巣鷹の尾根案内図】

すげの沢方面と「昇魂の碑」への分岐点です。



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【分岐点より見下ろす“すげの沢”方面】

分岐点をまっすぐ下るとすげの沢に辿り着きます。

4人の生存者はこのすげの沢のわずか1.5m四方の中で発見されたそうです。

思ったよりも狭い沢の周辺におびただしい数の墓標が立っていました。


写真中央付近に見える祭壇で最初のお焼香をさせていただきました。

祭壇の中は、この地で起きた“現実”が詰め込まれているかのようでした。


たくさんの遺影や千羽鶴、残されたご遺族の方の「あれから」や近況を伝える手紙、祈りの言葉・・・。

たくさんの方々の、たくさんの「祈りの形」が所狭しと並んでおり、それは多くの“叫び”にも見えました。

涙が溢れました。



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【昇魂の碑へと続く道】

すげの沢に並ぶ墓標1つ1つに手を合わせた後、「昇魂の碑」へと向かいます。



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【機体が滑り落ちた斜面】

このすげの沢へと続く急な斜面を、真っ二つに裂けた機体後部が木々をなぎ倒しながら滑り落ちたんだそうです。

斜面にも多くの墓標が点在しており、中にはポツンと離れたところに立つ墓標も見られました。


歩いていると、

「こんなところにも墓標がある…」

と、足を止められました。



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【視界が開けた目の前には・・・】

やがて「昇魂の碑」に辿り着きました。

その直前、私の目に飛び込んできたのは、対岸の尾根に残った「U字溝」と呼ばれる痕跡でした。



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【昇魂の碑にて】

「昇魂の碑」に到着です。

さきほどから雨がポツポツと落ちています。


道中、あれほどたくさんの車とすれ違ったのに、登山道ですれ違ったのは2人だけでした。

「ご苦労様です。もうすぐ山頂ですよ」

登山道を整備点検しておられる方のように見えました。


階段手前の「安全の鐘」を鳴らし、黙祷してから階段を進みます。



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【昇魂の碑】

日航123便がこの地に墜落してから東奔西走し、ご遺族の方や身元不明の遺体の安置と供養などに尽力された
黒沢丈夫 元上野村村長の書による昇魂の碑です。 


黒沢村長も昨年の12月にお亡くなりになられたそうです。

ここでもお焼香をさせていただきました。



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【墜落地点を示す碑】

「1985年8月12日18時56分26秒 羽田発大阪行 日本航空123便 JA8119号機 ここに墜落」

「524名搭乗 乗客505名死亡 乗員15名死亡 乗客4名生存 1988年8月遺族これを建立す」


事故から3年後に立てられた碑なんですね。

事故機は、対岸の尾根を右主翼でえぐった後、機体を反転させてこの場所に激突したんだそうです。


そっと手を置いて祈りを捧げました。



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【27年前の炎の跡】

墜落地点の上部へ進んだところで真っ黒に焦げた木が何本かありました。



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【27年前の炎の跡】

「な、何・・・?」

最初に見つけた時は、こんな場所に火が放たれた理由がよく分かりませんでした。


27年前の墜落現場は、当時の生々しさをそのままに残していました。

衝撃的な光景でした。



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【操縦クルーの碑】

さらに上部にあった、操縦クルー(機長、副操縦士、航空機関士)の碑です。


事故後発見された
コックピット・ボイス・レコーダー(CVR)からは、3人のクルーが極限状態の中でも諦めず、最後の瞬間まで飛行機を安定させようと
懸命に戦っていた様子が伺い知れます。

絶望的な状況下で32分間も飛行機を飛ばし続けたことは、事故当時の新聞報道の中でも取り上げられ、驚嘆に値するとされています。


4人の命を救った名パイロットたちの碑です。

ここでもお焼香をさせていただきました。


ふと見ると、ゴルフボールがお供えされていましたが、2個しかありませんでした。

どなたかお1人はゴルフが苦手だったのでしょうか?

「3人で一緒にプレーできないじゃん…」

思わずそんなことを考えていました。


カラスが持って行ってしまったのかも知れません。



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【U字溝】

操縦クルーの碑の正面には、あの「U字溝」が・・・。

胸が締め付けられる思いがします。



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【観音様と520名の名を刻んだ碑】

「520人の霊よ安らかなれ」

この側にも祭壇があり、この便に搭乗していた歌手の
坂本 九 さんのレコードや写真などがお供えされていました。



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【神流川上流】

ふとケータイを開いて時刻を確認すると、いつの間にか16時を回っていました。

「おいっさぇっ!」

こんな時にも自然と佐渡弁を発してしまったことにまず驚き、そして時刻に驚きました。


すべての墓標に手を合わせられなかったのは私の不徳の致すところです。

相変わらず小雨が降っており、この日のこの先の行程のことも考えると、選択肢は「下山」しかありませんでした。



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【関東一の清流】

何だか後ろ髪をひかれるような気持ちが入り混じった複雑な心境でしたが、必ずまた慰霊に来ることを自分に誓って下山です。


再び落石だらけの林道を走ります。

林道の脇には「関東一の清流・神流川」が風光明媚な光景をいくつも作って流れていました。

来るときにすれ違ったたくさんの車は、この清流を求めて来た釣り客なんかだったのかも知れません。


「こんなに美しい景色なのにな・・・」

「なのに・・・何だ?」

訳のわからない自問自答を繰り返しながら、再び永遠の闇のようなトンネルをいくつも潜り抜けました。



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【慰霊の園】

上野村の中心部にある「慰霊の園」に立ち寄りました。

123名の身元不明遺体が安置してあり、慰霊塔は「御巣鷹の尾根」に向いて合掌をかたどっているそうです。

「御巣鷹の尾根」も、この「慰霊の園」も、本当に上野村の方々が“守っている”んだと強く感じました。


最後のお焼香をさせていただきました。



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【慰霊の園 案内図】

今回、この事故のことを掘り下げて知って、不謹慎かも知れませんが感銘を受けたことがあります。

操縦クルー、そして、客室乗務員の方々が全うした「職務」についてです。


恐らくは、あの便に乗っていたすべての人が「事故原因=垂直尾翼の破損」を知らないままだったと思います。


自らも死の危険にさらされ、しかも原因もわからないという状況で、最後の最後まで気丈に振る舞い、冷静に対応に当たった客室乗務員の方々。

不時着時のアナウンスのメモ書きや、
生存者の方の証言からも、極限の状態にも関わらず職務を全うした姿が見て取れます。


そして、CVRから伺い知ることのできる操縦クルーたちの“格闘”。

自分が同じような状況に陥ったとき、あんな風に職務を全うすることが出来るでしょうか?


高濱機長は、時に乱暴とも思える言葉で、副操縦士を叱咤しています。

しかし、その一方で、「どーんと行こうやっ!」「頑張れ!頑張れ!!」と、副操縦士を励まし、自らをも鼓舞しています。

500人以上の乗客乗員の命を預かる者にしか知り得ない重圧と責任。


職務を全うし、責任を全うした操縦クルーや客室乗務員の方々。

神様の仕打ちは残酷なものでしかありませんが、その姿に感銘し、尊敬の念を抱く人は大勢いることと思います。

改めて、ご冥福をお祈りするとともに、敬意を表したいと思います。



毎日毎日、佐渡の上空も飛行機がたくさん飛んで行きます。

飛行機雲を見つけると、見えなくなるまで目で追いたくなります。

「Good Luck!!」と心の中で叫んでみます。


私も飛行機に乗って、どこか遠いところへ行きたいです。

安心して、空の旅を楽しんでみたいです。


この事故以来、日本の航空会社は乗客を犠牲にした事故は1度も起こしてはいません。

それは、確実にこの事故の教訓が生きているものと思います。


1番の売りは「安全」なんだと思います。

キレイ事ではありません。

「安さ」や「快適さ」ではなく「安全」をもっともっと謳い文句にしてもらいたいと思います。

本当の意味で「飛行機は最も安全な乗り物」になってもらいたいと思います。


私自身、もっともっとこの事故について興味や関心を持ち続けたいと思います。

そして、来年も必ず慰霊登山に向かいます。



☆関連リンク先

「8.12連絡会のホームページ」・・・空の安全を求める活動を続けるご遺族のページです。

「日航機墜落事故 東京 - 大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」・・・生存者のご家族のご友人が綴るページです。
事故の詳細を知ることができます。


(※) 死者数については、胎児1人を含め521人とする向きもあるそうです。
    妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。
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