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<再掲>

 

今日8月12日は、日航123便墜落事故から37年目にあたります。

 

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本日につきましては、その時間が近づくにつれて西の空に思いを馳せていました。

 

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今年もまたこの場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。

 

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事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。

 

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しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。

 

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連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。

 

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ご遺族の方も、36年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。

 

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1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。

 

DSC07294(AWB).JPG

 

事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、

この事故が引き起こされたとしています。

 

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実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。

 

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しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。

 

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ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。

 

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日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来36年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。

 

DSC07302(曇天).JPG

 

そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。

 

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しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。

当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。

 

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しかし、堕ちました。

それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。

 

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私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。

 

DSC07311(AWB).JPG

 

変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。

 

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長引くコロナ禍の影響により、御巣鷹の尾根への慰霊のための入山はご遺族や関係者に限って分散的な日程で実施しているほか、

式典も関係者のみのごくごく少数で実施されるようです。

それでも、今日のこの日この時間には、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根へ思いを馳せていらっしゃることと思います。

 

日本航空につきましては、全社員のうちこの事故を知る社員の割合が2%になるなど、事故の風化が懸念されています。

一方では、今年に入って機体の一部や酸素マスクが新たに発見されたというニュースも報じられております。

 

遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

併せて、最も懸念されている事故の風化を少しでも防ぐことができるよう、微力ながら、引き続きこの事故について思いを馳せ続けたいと考えています。

 

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* * * * * * * * * *

 

(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

 

* * * * * * * * * *
 

関連リンク先
「8.12連絡会」

・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。
 

* * * * * * * * * *

 

掲載された写真は2013年夏時点のものです。

 

* * * * * * * * * *

 

 

 

JUGEMテーマ:飛行機

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今日8月12日は、日航123便墜落事故から36年目にあたります。

 

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今年もまた、その時間が近づくにつれて西の空に思いを馳せていました。

 

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本日につきましても、この場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。

 

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事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。

 

DSC03117(曇天).JPG


しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。

 

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連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。

 

DSC07290(AWB).JPG

 

ご遺族の方も、36年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。

 

DSC07292(AWB).JPG

 

1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。

 

DSC07294(AWB).JPG

 

事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、

この事故が引き起こされたとしています。

 

DSC07295(AWB).JPG


実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。

 

DSC07297(AWB).JPG

 

 

しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。

 

DSC07299(AWB).JPG

 

ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。

 

DSC07300(AWB).JPG

 

日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来36年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。

 

DSC07302(曇天).JPG

 

そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。

 

DSC07305(曇天).JPG

 

しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。

当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。

 

DSC07309(曇天).JPG

 

しかし、堕ちました。

それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。

 

DSC07310(曇天).JPG

 

私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。

 

DSC07311(AWB).JPG

 

変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。

 

DSC07317.JPG

 

昨年から続くコロナ禍により、御巣鷹の尾根への慰霊のための入山はご遺族や関係者に限って分散的な日程で実施しているほか、

式典も関係者のみのごくごく少数で実施されるようです。

それでも、今日のこの日この時間には、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根へ思いを馳せていらっしゃることと思います。

遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

DSC07316.JPG

 

 

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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

 

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関連リンク先
「8.12連絡会」

・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

 

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掲載された写真は2013年夏時点のものです。

 

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今日8月12日は、日航123便墜落事故からちょうど35年目にあたります。

 

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この日、その時間が近づくにつれて西の空を眺めながら色々に思いを馳せていました。

 

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相も変わらず私に出来ることなんて何もありません。
しかし、いちばん懸念されていることが「事故の記憶の風化」ということであれば、多少なりとも文字や記録にして発信することで、
何かしら --- 本当に小さなことであっても --- お役に立てることができたらと思うところは、以前より変わっていないつもりでいます。

本日につきましても、この場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。

 

DSC03116(曇天).JPG

 

事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。

 

DSC03117(曇天).JPG


しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。

 

DSC07287(AWB).JPG

 

連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。

 

DSC07290(AWB).JPG

 

ご遺族の方も、35年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。

 

DSC07292(AWB).JPG

 

1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。

 

DSC07294(AWB).JPG

 

事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、

この事故が引き起こされたとしています。

 

DSC07295(AWB).JPG


実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。

 

DSC07297(AWB).JPG

 

 

しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。

 

DSC07299(AWB).JPG

 

ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。

 

DSC07300(AWB).JPG

 

日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来35年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。

 

DSC07302(曇天).JPG

 

そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。

 

DSC07305(曇天).JPG

 

しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。

当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。

 

DSC07309(曇天).JPG

 

しかし、堕ちました。

それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。

 

DSC07310(曇天).JPG

 

そんな大量輸送時代の象徴として1970年から運航が開始されたB747型機の生産終了のアナウンスがあったのは記憶に新しいところです。

生産終了の理由については「市場の動向と展望を踏まえた」というものだそうですが、「市場も展望もない」と読み替えて差し支えないんでしょう。

事故から35年という節目の年に、偶然重なったアナウンスでした。

 

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話を戻しますが、私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。

変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。

 

DSC07317.JPG

 

今年はCOVID-19の影響で、御巣鷹の尾根への入山はご遺族や関係者に限っての分散的な日程で実施しているほか、

式典の縮小や灯篭流しも中止されたんだそうです。

それでも、今日のこの日この時間には、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根へ思いを馳せていらっしゃることと思います。

遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

DSC07316.JPG

 

 

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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

 

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■「8.12連絡会」

・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
■「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。
 

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掲載された写真は2013年夏時点のものです。

 

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今日8月12日は、あの日航123便墜落事故からちょうど34年目にあたります。

 

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この日、その時間が来ると西の空を眺めながら色々に思いを馳せています。

 

相も変わらず私に出来ることなんて何もありません。
しかし、いちばん懸念されていることが「事故の記憶の風化」ということであれば、多少なりとも文字や記録にして発信することで、
何かしら --- 本当に小さなことであっても --- お役に立てることができたらと思うところは、以前より変わっていないつもりでいます。

 

7S200443.jpg

 

本日につきましても、この場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。

 

7S200447.jpg

 

事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。
しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。

連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。

 

7M306474.jpg

 

ご遺族の方も、34年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。

 

7M306476.jpg

 

1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。

 

7S200448.jpg

 

事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、この事故が引き起こされたとしています。
実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。

 

7M306532.jpg

 

しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。

 

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ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。

 

7M306584.jpg

 

日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来34年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。

そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。

 

7M306615.jpg

 

しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。

当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。

しかし、堕ちました。

それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。

 

7M306621.jpg

 

私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。

変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。

 

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今日のこの日に、酷暑の中、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根を目指していらっしゃることと思います。

墜落時間と同じ時間、私は車で移動中でしたが、夕陽の照り返しで茜色に染まった雲を眺めながら、御巣鷹の尾根へと思いを馳せさせていただきました。

遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
  妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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「8.12連絡会」

 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。
 

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1985年(昭和60年)8月12日午後6時56分

東京発大阪行きの日本航空123便が群馬県多野郡上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落してから、今日で33年目を迎えました。

 

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昨年は所謂「33回忌」ということで、ご遺族の皆さまにおかれましても何かしらの"節目"となってのではないかと思うところです。

しかしながら、様々なメディアを通じて報じられます皆さまの声を仄聞するに、「節目とともに悲しみは新た」なのではとお察し申し上げるところです。

この場をお借りしまして、改めましてお亡くなりになられた520名(*)の方々とご遺族の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます。

 

今日のこの日に、酷暑の中、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根を目指していらっしゃることと思います。

日本航空においても、社員の95%が事故を知らない世代となったこと。

そして、年々高齢化しているご遺族の皆さま。

しかし、いつまでもこの事故を風化させることのないよう、上野村における慰霊以外にも様々な活動も行われています。

 

事故で父親を失った女性は教師として教え子に事故の体験を伝えているそうです。

事故で夫を失った女性は絵本や歌を通じて「悲しみの先にある希望」を伝えています。

そして「8.12連絡会」におかれましては、航空機のみならず、様々な輸送機関において「安全の意識」を共有すべく"活動の輪"を広げています。

 

私は事故の関係者でも何でもないいち個人ですが、何かしらの文字や文言にして発信することで --- たいへんおこがましくありますが ---

こうした皆さま方の取り組みの応援が出来ればと願っています。

 

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一方、群馬県では防災ヘリコプターが墜落し、9人の尊い命が奪われてしまいました。

また、8月11日にはこの事故で書類送検された日本航空と国交省(当時の運輸省)の16人の供述の全容が明らかになったことが報じられ、

ボ社・同社・同省3者が互いに責任を回避し合っていたという様相が明るみとなりました。

 

日本の航空業界に限って言えば、1985年のこの事故以来33年間乗客に死者を出す事故は起こしていません。

そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。

しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。

当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。

しかし、堕ちました。

それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。

 

私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。

変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。

 

今年は9月の末頃を目途に慰霊登山へ向かいたいと考えています。

遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

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「8.12連絡会」

 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。

 

「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

 

(*) 死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。

     妊娠6か月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

 

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1985年8月12日。
午後6時56分。
日本航空123便が群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落して、今日で32年目を迎えます。
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昨夜から上野村では雨の中、灯籠流しが行われ、今日は慰霊登山や慰霊式典などが執り行われたことかと思います。
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日中、そのあたりのところはニュースでも報じられておりましたが、ご遺族の方の「何年たっても悲しみは変わらない」という言葉に胸が痛む思いです。
今日という日を迎え、慰霊登山に向かわれるご遺族の方は亡くなられた方への”再会”を待ちわびるお気持ちでいらっしゃるんでしょうか…。
それでいて、毎年悲しみも新たにしなければならないと思うと、心が痛みます。
この場をお借りして、改めましてお悔やみ申し上げます。
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一方、高齢化が進むご遺族に対して、事故を知らない若い世代の方も慰霊登山に足を運ばれているそうです。
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ニュースでは、小さなお子さんがご遺族の方と一緒に楽しそうに笑顔を浮かべて登山されている様子が映し出されていました。
慰霊登山の意味を知るにはまだ少し先になるのかもしれませんが、この事故が、世代を超えて着実に引き継がれることを切に願います。
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今日の報道等を通じ、個人的には改めて「再調査」の必要性を痛切に感じているところです。

 

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諸説ある中で、事故原因は同機体に7年前に発生した”しりもち事故”の修理ミスに起因する後部圧力隔壁の損壊、
そしてその損壊に端を発する垂直尾翼の破損および操縦系統の破断と”推定”されています。
しかしながら、事故の解明に欠かせない垂直尾翼や落下部品の多くは相模湾の海底に沈んだままです。

 

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32年という年月が経過し、海底に沈んだ部品の数々をこれから回収に乗り出すことは確かに現実的ではないのかもしれません。
しかしながら、各々のメディアの独自調査や取材により、相模湾の海底からは機体の残骸と思われる(可能性のある)物体が発見されていますし、
CVRについても、元航空関係者等の協力のもと、判読不明とされていた箇所の一部に新たな解析の可能性が示唆されています。

 

いずれも公式な調査ではないものの、その”足がかり”と位置づけられることができると思われる要素は近年多数報告されているはずです。
国の運輸安全委員会は「コメントを差し控える」としていますが、正式にコメントできるだけの調査を行うべきなのではないかと思ってしまいます。
今なお取り残されている多くの「なぜ」に答えることこそが、空を初めとした各輸送機関の”安全確保”の最優先事項なのではないでしょうか。
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雲が多く、時折雨が落ちてくる今日でした。
墜落時刻の午後6時56分。
その少し前、水平線上を覆う雲に沈もうとする夕陽が見えました。
その反対側の空は、照り返しで茜色に染まっていました。

 

ご遺族の皆さまが相互に励まし合い、助け合い、一緒に霊を慰めていくことを目的に結成された「8.12連絡会」
この事故の意味を問い続けるため、ご遺族ご自身の言葉で事故を語るために発行されてきた文集「茜雲」
「茜雲」の由来は「123便の窓から見えたはずの、夕日に染まる茜雲に、鎮魂の祈りを込める」と解説されています。

 

もう2度と事故を起こさせないため。
これを読んだ方と一緒に安全を求めたい。
この文集がその橋渡しとなってほしい。
そんな願いを込めた「8.12連絡会」や御巣鷹の尾根は、空のみならず、各輸送機関の安全を願う象徴となっています。
墜落時間と同じ時間、私は車で移動中でしたが、信号の交差点で御巣鷹の尾根へ向かって合唱させていただきました。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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関連リンク先
「8.12連絡会」

 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。

 

「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

 

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今年も暑い1日でした。

 

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【α7S,LA-EA4,70-300mm F4.5-5.6 G SSM,1/200,F5.6,iso8000】

 

1985年8月12日。

日航123便墜落事故から今日で31年目を迎えます。

事故の風化への懸念が叫ばれて久しいですが、事故を知らない世代の方が慰霊登山に望んだり、

今なお多発する輸送機関の事故によるご遺族の方々が手を取り合ったりと、「御巣鷹の尾根」は「安全への祈り」の場として新たな役割を担っています。

 

この事故から31年。

この間、日本の航空業界では乗客に死者を出す事故は1度も起きていません。

その意味においては、安全への祈りはしっかりと伝えられ、犠牲となられた520名(*)の命の灯は燃え継がれています。

 

私自身、前回の慰霊登山から早や2年が経過しました。

事故当時を知る写真家・小平尚典氏による動画「御巣鷹の尾根はやさしい風に包まれていた」を見て、今年もまた足を運べたらという気になっています。

 

ご遺族の方におかれましては、この日を境にまた悲しみを新たにしていることとお察しいたします。

遠く佐渡より、ご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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関連リンク先
「8.12連絡会」

 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

 

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1985年(昭和60年)8月12日 18時56分。
単独の航空機事故としては世界最大の惨事となった「JAL123便墜落事故」が発生したのは30年前の今日です。

私はこの事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を切に願ういち個人として3年前に初めて「御巣鷹の尾根へ」と足を運びました。
すべての墓標に手を合わせることができず、必ず再訪すると自分に誓ったところですが、昨年9月にようやく2度目の慰霊登山に行くことができました。

私にできることは何もありませんが、最も恐るべき「事故の記憶の風化」という点に対し、何かしら「伝える」ことができたらと願っています。
以下に掲載するのは、そんな思いを持って臨んだ昨年の慰霊登山の際の写真です。

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3年前は長野県側から十石峠を越えてきました。
今回は国道を乗り継ぎながら、神流川沿いを車を走らせて来ました。

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神流川沿いの国道462号線はとても狭く、崖にそって曲がりくねった道の連続です。
事故当時、大勢の報道陣や警察車両、関係車両が列をなした光景を想像しながら走っていました。

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あの日、東京発大阪行きの123便が、32分間の迷走飛行の末に墜落したのが御巣鷹の尾根です。
520名(521名)の命が失われ、しかし、同時に4名の命が救われた聖山です。

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かつての登山道入り口には今も観音様が立っています。
渓流釣りとしても名高い神流川ですが、ここより上流は“聖域”として釣りをされる方も入渓を自粛しているんだそうです。

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現在の登山道入り口です。

ここへ来るまでの長い長い道中。
事故当時は今のように舗装道路が通っていたハズもなく、錯綜する情報に振り回されながら大勢の方が墜落地点の特定に急いでいました。
「こんなに山深いところに、しかしどうやって…」
2年前の曖昧な記憶よりずっと遠く感じたこの道中、ずっとそんなことを考えながらハンドルを握っていました。

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昨年あたりから、事故機のCVS(コックピット・ボイス・レコーダー)の解析に進展があったり、長年の沈黙を破っての新証言があったりと、
30年を経てなお多くの“新事実”が浮かび上がっています。

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1987年に当時の事故調が --- いわゆる“公式”の --- 事故調査報告書を公表し、この事故の原因は結論付けられたこととされています。
しかし、未だに残る多くの“なぜ”を解明しようとする多くの関係者の尽力により、薄皮を剥ぐように新事実があぶり出されているんだと思います。
「8.12連絡会」をはじめとした多くの方が望む「再調査」への声。
これら新事実も、そうした多くの声の1つと思います。
再調査を切に願います。

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高齢化が進むご遺族の方でも歩きやすいようにと、登山道はとてもよく整備されています。
現在の登山道入り口から「昇魂之碑」までは、距離にして800m、高低差で180mです。
かつては距離にして約2km、高低差500mもあった登山道ですが、林道を延長するなどしてずいぶんと短縮されたそうです。

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登山道入り口には多数の杖が備え付けてあり、誰でも自由に使用できるようになっています。
今年は30年目の節目ということもあり、慰霊登山者の数は過去5年間で最多となっているそうです。

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「JAL123便墜落事故」だけでなく、各輸送機関における事故の遺族の方にとっても、この御巣鷹の尾根は安全への祈りの場となっています。

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登山道を歩き始めて5分ほどで「すげの沢のささやき碑」に到着します。
側のポストには、JA8119号機(事故機)が御巣鷹の尾根に激突するまでの経緯や、墓標の位置が示された図が設置されています。
ここで墓標の位置図を手に取りました。

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ささやき碑をすぎて続く登山道です。

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歩きやすいように階段や手すりが設置してあります。
捜索にあたった当時は、それこそ獣道もないような状態の斜面だったと思います。
こんな山奥で助けを待った大勢の方々…。
そして、そこへ向かった大勢の方々…。
一段一段をしっかり噛みしめるように足を進めます。

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この日、この登山道では相当数の方とすれ違いました。

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私が駐車場へ到着するのと時を同じくし、既に駐車場にあったマイクロバスからは大勢の方が降りてきました。
そのほとんどがご高齢の方に見えました。
ご遺族の方々かと思ったんですが、ガイドさんと思しき方が先導して歩いて行った一団はどうやら事故の関係者では無さそうでした。

「ハイ、一休みしたら出発しますよ。あともうひと頑張りですよ!」
何となくこの場に似合わないような軽快な声が響いていました。

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休憩小屋やベンチが並び、そして遺族有志の祈りの看板が目に入って来ました。
御巣鷹の尾根に激突し、引きちぎれた機体後部が木々をなぎ倒しながら滑り落ちた斜面です。

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その斜面の突き当り、写真中央に見える橋を渡ったあたりの1.5m四方の空間から4人の生存者が発見されました。
生存者の方の証言によれば、墜落直後、この谷には大勢の方の声や荒い息遣いが響いていたんだそうです。
墜落から約2時間後には救難隊のヘリが現場上空まで達していますが、夜間救難装備の不備などで救助活動を行えなかったといいます。
そうしているうち、しだいに息遣いや声は聞こえなくなっていったんだそうです。
生存者の方が発見され、救助されたのは事故の発生から16時間後のことでした。

写真の右端に青いトタン屋根の祭壇が見えます。
3年前と同様、最初のお焼香をさせていただきました。

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3年前には足を踏み入れることの無かったすげの沢の上部です。
霧が立ち込め、時折雨が落ちてきました。
先ほどまではマイクロバスの一団や若い方々の一団の姿があり、時折話し声も聞こえてきましたが、いつの間にかあたりはシンと静まり返っていました。
クマよけの鈴の音だけが鳴り響いていました。

あの日、助けを待つ多くの方々はこんな場所でこんな景色を見ていたのだろうかと思うと胸が痛みました。

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昇魂之碑に近づくと、焼け焦げた木が何本か目に入ってきました。

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将来を嘱望された女優の方。
プロ野球球団の社長。
大好きな高校野球を観に1人旅に出た少年。
様々な方の様々な未来がこの場所で断ち切られたと思うと胸が詰まる思いがしました。

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山頂付近の祭壇です。
ご遺族の方の「あれから」を伝える手紙や、亡くなられた方への思いを綴った手紙など、たくさんの“祈りのかたち”がありました。
人々を魅了した有名歌手の方の笑顔がこちらを向いていました。

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墜落地点に立つ観音様です。
そして亡くなられた方の名前が刻まれた碑が並んでいます。

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「1985年8月12日18時56分26秒 羽田発大阪行日本航空123便 JA8119号機ここに墜落」
「524名搭乗 乗客505名死亡 乗員15名死亡 乗客4名生存 1988年8月遺族これを建立す」

墜落地点を記す碑です。
そっと手を置くと、日中の陽射しの名残が暑く残っていました。
あの日もとても暑い1日だったそうです。

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そして「昇魂之碑」です。
事故の発生から東奔西走し、亡くなられた方の魂を守ることに尽力された故・黒沢丈夫 元上野村村長の書による碑です。
ここに最後のお焼香をさせていただきました。

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下山の途に就きました。
先ほどからの雨で階段が滑り、何度か足を踏み外しそうになりました。
数などは数えませんでしたが、目に入った墓標全てに限りなく近く手を合わせることはできました。

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もう1度すげの沢を振り返ります。
「4人の命が救われた聖山」
この言葉が頭をよぎりました。

しかし、わずか1.5mの差が明暗を分けたのだとしたら、その差は一体何だったんだろうと…。
あまりに無情で、そして無慈悲な仕打ちに思えてなりませんでした。

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登山道を降り、駐車場へ戻った時、既に私の車以外の車両は姿を消していました。
こうして2度目の慰霊登山を終えました。

我に返って、何も救われていないような気持ちになってしまったのは何故なんでしょうか…。
しかし、このところ現れた心境の変化としては「飛行機に乗ってみたいな」というものです。
私が飛行機を怖いと思うこととなった契機はこの事故ですが、知ることによって得ることができた心境の変化でもあります。
これはCVRから伺い知ることのできる「4人の命を救った名パイロット」の懸命な姿に感銘を受けたからにほかなりません。

30年というひとつの節目を迎え、しかし、ご遺族の方は今日また悲しみを新たにしていらっしゃることと思います。
せめて、この事故で犠牲となられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方のご健康を心よりお祈り申し上げます。
そして同時に、一刻も早く、この事故の真の原因が究明されることを切に願います。

* * * * * * * * * *

(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
  妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク先
「8.12連絡会」
 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

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今年もまた8月12日がやってきました。



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1985年(昭和60年)8月12日。

乗員乗客合わせて520名(*)もの方が犠牲となった日航機墜落事故から今日で29年となりました。




18時12分に羽田空港を発ったJAL123便は、ここ伊丹空港に辿りつくことなく、32分間の迷走飛行の末
皮肉にも当初の到着予定時刻であった18時56分に、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。

事故当時小学校の低学年だった私は、繰り返し報道される事故のニュースにただならぬ恐怖を覚え、以来「飛行機は墜ちるもの」
という認識を持つことになりました。


ここへ来て --- 29年という歳月を経て --- コックピット・ボイスレコーダー(CVR)からは新たな「事実」が浮かび上がっています。

公式の事故調査は、1987年に当時の運輸省が「航空事故調査報告書」を公表したことで終了とされていますが、
いまだ解明されていない多くの「なぜ」が存在し、ご遺族の方を中心に再調査を求める声は止むことがありません。


私も空の安全を願ういち個人として、例え何年かかろうとも真相が究明されることを切に願っています。



今年も、大勢のご遺族の方が様々な思いを胸に御巣鷹の尾根へ向かわれたことと思います。

私は無力ですが、せめて思いを文字として発信することで --- たいへんおこがましいですが --- 何かしらのお力になれたらと思います。



この事故で犠牲となられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方のご健康を心よりお祈り申し上げます。





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(*) 死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
     妊娠6か月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク

「8.12連絡会」・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページ。

 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページ。

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滋賀県大津市にある石山寺にいました。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/40sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

関西圏ではそろそろ梅雨明けかと思われた、カラリと晴れ上がった暑い日でした。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 70mm 1/50sec F11.0 ISO=200 多分割測光 WB=曇天 --

紫式部ゆかりのお寺だそうで、紫式部はこのお寺にお篭りした際に「源氏物語」の構想を描いたんだそうです。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 55mm 1/160sec F4.0 ISO=200 多分割測光 WB=曇天 --

山門から望む境内は眩しいくらいに緑が輝き、観光地然とはしていましたが、静寂と凛とした雰囲気に包まれていました。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 35mm 1/25sec F3.2 ISO=200 多分割測光 AWB --

さて、今日8月12日は、あの日航123便墜落事故からちょうど28年目にあたります。


昨年、おこがましくも御巣鷹の尾根に慰霊登山をさせていただきました。

私は事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を願ういち個人としての行動です。


すべての墓標に手を合わせることができなかったため、今年も必ず慰霊に向かうと自分に誓ったところだったんですが、
今年に入り、登山道で発生した土砂崩れにより、御巣鷹の尾根への立ち入りは非常に期間限定的なものに制限されています。

9月中旬以降、規制が解除される見込みのようですが、8月中はご遺族や関係者の方が多数登山されることと思い、
私個人のような者としては、立ち入りを自粛させていただくことが自然な流れと判断していたところです。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 35mm 1/160sec F11.0 ISO=200 多分割測光 WB=太陽光 --

それでいて“無念”という思いのあったところ、たまたまこのお寺へ足を運ぶ機会を得ました。

まったくの偶然です。


所用で滋賀県に来ていたんですが、用務の終了後が休日にあたっていたこともあり、さらに休暇をいただき、このお寺を訪ねさせていただきました。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 35mm 1/30sec F5.6 ISO=200 多分割測光 WB=曇天 --

このお寺に植えられた520本の桜こそ、日航123便墜落事故で犠牲となられた方々の命を“永遠”に灯すための「夢桜」なんです。


「慰霊」の気持ちを持ってこのお寺に足を踏み入れることは、多少“場違い”であったのかも知れませんが、
そんな人間もいたということを、ご容赦いただけたらと思います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 55mm 1/80sec F11.0 ISO=200 多分割測光 WB=太陽光 --

私に出来ることなんて何もありません。


しかし、いちばん懸念されていることが「事故の記憶の風化」ということであれば、多少なりとも文字や記録にして発信することで、
何かしら --- 本当に小さなことであっても --- お役に立てることができたらと思います。


この場をお借りし、改めてこの事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 70mm 1/400sec F5.6 ISO=200 多分割測光 WB=太陽光 --

事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。

しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。


連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。

乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。


機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。

絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。

私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/30sec F8.0 ISO=250 多分割測光 AWB --

ご遺族の方も、28年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。


どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。

想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 70mm 1/125sec F3.2 ISO=250 多分割測光 WB=太陽光 --

1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、

「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」

と結論付けられています。


事故から遡ること7年前。

同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、この事故が引き起こされたとしています。


実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/30sec F8.0 ISO=400 多分割測光 WB=太陽光 --

しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。


垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。

さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。


まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままなんだそうです。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/60sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。


こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。

しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。

(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)


原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 24mm 1/20sec F8.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

昨年からB787のトラブルが続出し、世界の空が騒がしいものになっています。

一旦は運行停止措置がとられ、一連のトラブルについての調査が行われましたが、結局、根本原因を究明できないまま、今も世界中の空を飛び続けています。


そんな中(B787とは別に)7月にはアナシア航空便がサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗。

今月5日には、大韓航空機が新潟空港でオーバーランを起こすなど、死亡事故を含め、重大インシデントに認定される事故は多発しています。



これらの事故については、事故調査は始まったばかりですが、原因の究明こそが事故を無くすための最善の策だと思います。

どうしたって“想定外”はつきものですが、一刻も早く原因が究明されることを切に願います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 55mm 1/80sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来28年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。

そういう意味では、日本の空の安全は着実に守られているんだと思います。


そしてそれは、ここに灯る520の命の炎の存在を抜きにしてはあり得なかった未来なんだと思います。



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【α99】+【Vario Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM】
-- 60mm 1/50sec F11.0 ISO=100 多分割測光 WB=太陽光 --

私はこのお寺とこの桜のことを、こちらのサイトで知りました。


28年前にこの事故で三女を亡くされたご遺族の女性が3年間をかけて520本の桜の苗木を植えたそうです。

植えた先が次女の嫁ぎ先であった、この石山寺なんだそうです。


そこには「この世での寿命は短かったけれど、桜なら何百年も生き続けられる」という“永遠”の思いがあったそうです。

女性は、娘さんが亡くなった年齢と同じ22年後に初めてこの桜の花を目にしたといいます。



今回私が訪ねた季節は夏の真っ盛りでした。

当然のようにこの桜が咲いている姿を見ることはありませんでした。


いつか満開の「夢桜」を見ることができたら。

その時は私も“永遠”に祈りを捧げたいと思います。



繰り返しになりますが、この事故で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の皆様のご健康をお祈り申し上げます。



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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
  妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク先

「8.12連絡会」・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。

「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

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