202208
Friday
<再掲>
今日8月12日は、日航123便墜落事故から37年目にあたります。
本日につきましては、その時間が近づくにつれて西の空に思いを馳せていました。
今年もまたこの場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。
事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。
しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。
連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。
ご遺族の方も、36年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。
1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。
事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、
この事故が引き起こされたとしています。
実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。
しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。
ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。
日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来36年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。
そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。
しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。
当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。
しかし、堕ちました。
それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。
私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。
変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。
長引くコロナ禍の影響により、御巣鷹の尾根への慰霊のための入山はご遺族や関係者に限って分散的な日程で実施しているほか、
式典も関係者のみのごくごく少数で実施されるようです。
それでも、今日のこの日この時間には、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根へ思いを馳せていらっしゃることと思います。
日本航空につきましては、全社員のうちこの事故を知る社員の割合が2%になるなど、事故の風化が懸念されています。
一方では、今年に入って機体の一部や酸素マスクが新たに発見されたというニュースも報じられております。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
併せて、最も懸念されている事故の風化を少しでも防ぐことができるよう、微力ながら、引き続きこの事故について思いを馳せ続けたいと考えています。
* * * * * * * * * *
(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。
* * * * * * * * * *
関連リンク先
■「8.12連絡会」
・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
■「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。
* * * * * * * * * *
掲載された写真は2013年夏時点のものです。
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202108
Thursday
今日8月12日は、日航123便墜落事故から36年目にあたります。
今年もまた、その時間が近づくにつれて西の空に思いを馳せていました。
本日につきましても、この場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。
事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。
しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。
連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。
ご遺族の方も、36年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。
1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。
事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、
この事故が引き起こされたとしています。
実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。
しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。
ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。
日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来36年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。
そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。
しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。
当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。
しかし、堕ちました。
それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。
私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。
変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。
昨年から続くコロナ禍により、御巣鷹の尾根への慰霊のための入山はご遺族や関係者に限って分散的な日程で実施しているほか、
式典も関係者のみのごくごく少数で実施されるようです。
それでも、今日のこの日この時間には、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根へ思いを馳せていらっしゃることと思います。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
* * * * * * * * * *
(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。
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関連リンク先
■「8.12連絡会」
・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
■「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。
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掲載された写真は2013年夏時点のものです。
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202008
Wednesday
今日8月12日は、日航123便墜落事故からちょうど35年目にあたります。
この日、その時間が近づくにつれて西の空を眺めながら色々に思いを馳せていました。
相も変わらず私に出来ることなんて何もありません。
しかし、いちばん懸念されていることが「事故の記憶の風化」ということであれば、多少なりとも文字や記録にして発信することで、
何かしら --- 本当に小さなことであっても --- お役に立てることができたらと思うところは、以前より変わっていないつもりでいます。
本日につきましても、この場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。
事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。
しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。
連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。
ご遺族の方も、35年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。
1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。
事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、
この事故が引き起こされたとしています。
実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。
しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。
ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。
日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来35年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。
そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。
しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。
当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。
しかし、堕ちました。
それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。
そんな大量輸送時代の象徴として1970年から運航が開始されたB747型機の生産終了のアナウンスがあったのは記憶に新しいところです。
生産終了の理由については「市場の動向と展望を踏まえた」というものだそうですが、「市場も展望もない」と読み替えて差し支えないんでしょう。
事故から35年という節目の年に、偶然重なったアナウンスでした。
話を戻しますが、私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。
変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。
今年はCOVID-19の影響で、御巣鷹の尾根への入山はご遺族や関係者に限っての分散的な日程で実施しているほか、
式典の縮小や灯篭流しも中止されたんだそうです。
それでも、今日のこの日この時間には、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根へ思いを馳せていらっしゃることと思います。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
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201908
Monday
今日8月12日は、あの日航123便墜落事故からちょうど34年目にあたります。
この日、その時間が来ると西の空を眺めながら色々に思いを馳せています。
相も変わらず私に出来ることなんて何もありません。
しかし、いちばん懸念されていることが「事故の記憶の風化」ということであれば、多少なりとも文字や記録にして発信することで、
何かしら --- 本当に小さなことであっても --- お役に立てることができたらと思うところは、以前より変わっていないつもりでいます。
本日につきましても、この場をお借りし、この事故で犠牲となられた520名(521名)(*)の方々のご冥福をお祈りいたします。
事故当時の私の記憶はほとんど明確なものではありません。
しかし、とにかく「怖い」という恐怖感を感じたことと、「飛行機は堕ちるものだ」という認識を持ったことは今なお変わりません。
連日連夜のように事故の報道をしていたんでしょう。
乗客名簿が何度も読み返され、あんなことがしょっちゅうあるものと錯覚してしまっていました。
機内にいた乗客乗員の524名の方がどんなに怖い思いをしたのか。
絶望と、誰も経験したことが無い総毛立つような恐怖だけが支配する中で、どんなに辛い32分間を過ごしたのか。
私には想像すらできませんし、それを思うとただただ胸が痛みます。
ご遺族の方も、34年という時間が経っても、この日が来るたびに悲しみを新たにしていることと思います。
どんなに辛い時間を過ごしてきたのか。
想像を絶する悲しみや悔しさを抱えていらっしゃるかと思うと、心が痛みます。
1987年(昭和62年)に航空事故調査委員会が発表した「航空事故調査報告書」によれば、推定の事故原因は、
「後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。
隔壁の損壊は1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの」
と結論付けられています。
事故から遡ること7年前。
同機に発生した「しりもち事故」で破損した圧力隔壁を修理した際にミスがあり、そこから発生した金属疲労の亀裂により、この事故が引き起こされたとしています。
実際、事故から2週間足らずで、修理を行った米ボーイング社自らが修理の際のミスを認めています。
しかし、隔壁の損壊から、垂直尾翼の破損、そして操縦系統の破断までの一連のプロセスが順序だてて解明されたわけではありません。
垂直尾翼に発生したフラッター現象に起因するとされる説などの諸説もあります。
さらに、その時の機内の様子を知る生存者の方の証言との食い違い --- 急減圧の有無 --- についても解明されてはいません。
まして、事故原因を探るうえで最も欠かせないとされる垂直尾翼や尾部胴体の一部は海底に沈んだままです。
ご遺族の方を中心に再調査を求める声は未だやむことはありません。
こうした要望を受け、運輸安全委員会では「航空事故調査報告書についての解説」を作成し公表しています。
しかし、この解説についても「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません・・・」とされています。
(内容的には“諸説”に関する根拠の無さについての指摘があるほか、
急減圧に関しては、生存者の証言と実際機内で起きた現象について、矛盾無く起こりえたと読み取れる内容となっています。)
原因については「解明されていない」というのが本当のところなんだと思います。
日本の航空会社に限って言えば、この1985年8月12日以来34年間、乗客に死者を出す事故は発生させていません。
そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。
しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。
当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。
しかし、堕ちました。
それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。
私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。
変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。
今日のこの日に、酷暑の中、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根を目指していらっしゃることと思います。
墜落時間と同じ時間、私は車で移動中でしたが、夕陽の照り返しで茜色に染まった雲を眺めながら、御巣鷹の尾根へと思いを馳せさせていただきました。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。
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関連リンク先
■「8.12連絡会」
・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
■「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。
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201808
Sunday
1985年(昭和60年)8月12日午後6時56分
東京発大阪行きの日本航空123便が群馬県多野郡上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落してから、今日で33年目を迎えました。
昨年は所謂「33回忌」ということで、ご遺族の皆さまにおかれましても何かしらの"節目"となってのではないかと思うところです。
しかしながら、様々なメディアを通じて報じられます皆さまの声を仄聞するに、「節目とともに悲しみは新た」なのではとお察し申し上げるところです。
この場をお借りしまして、改めましてお亡くなりになられた520名(*)の方々とご遺族の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます。
今日のこの日に、酷暑の中、多くの方が慰霊のために御巣鷹の尾根を目指していらっしゃることと思います。
日本航空においても、社員の95%が事故を知らない世代となったこと。
そして、年々高齢化しているご遺族の皆さま。
しかし、いつまでもこの事故を風化させることのないよう、上野村における慰霊以外にも様々な活動も行われています。
事故で父親を失った女性は教師として教え子に事故の体験を伝えているそうです。
事故で夫を失った女性は絵本や歌を通じて「悲しみの先にある希望」を伝えています。
そして「8.12連絡会」におかれましては、航空機のみならず、様々な輸送機関において「安全の意識」を共有すべく"活動の輪"を広げています。
私は事故の関係者でも何でもないいち個人ですが、何かしらの文字や文言にして発信することで --- たいへんおこがましくありますが ---
こうした皆さま方の取り組みの応援が出来ればと願っています。
一方、群馬県では防災ヘリコプターが墜落し、9人の尊い命が奪われてしまいました。
また、8月11日にはこの事故で書類送検された日本航空と国交省(当時の運輸省)の16人の供述の全容が明らかになったことが報じられ、
ボ社・同社・同省3者が互いに責任を回避し合っていたという様相が明るみとなりました。
日本の航空業界に限って言えば、1985年のこの事故以来33年間乗客に死者を出す事故は起こしていません。
そういう意味においては、日本の航空業界はこの事故以来、着実に空の安全を守って来たんだと思います。
しかしながら --- 個人的な主観でありますが --- 安全に絶対はありません。
当時、4発機のジャンボ機などは「絶対に堕ちる訳がない」と信じられていました。
しかし、堕ちました。
それだけに、この事故が世に与えたインパクトは果てしなく大きなものだったんだと思います。
私自身、この事故のインパクトによって未だ飛行機に乗るということを限りなく躊躇してしまいます。
変わらぬ、そして納得のできる安全への対策を確立するとともに、安全の保証が確立されることを切に願いたいと思います。
今年は9月の末頃を目途に慰霊登山へ向かいたいと考えています。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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■「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る30年間の記録」
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(*) 死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
妊娠6か月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。
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201708
Saturday
関連リンク先
■「8.12連絡会」
・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
■「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
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201608
Friday
今年も暑い1日でした。
【α7S,LA-EA4,70-300mm F4.5-5.6 G SSM,1/200,F5.6,iso8000】
1985年8月12日。
日航123便墜落事故から今日で31年目を迎えます。
事故の風化への懸念が叫ばれて久しいですが、事故を知らない世代の方が慰霊登山に望んだり、
今なお多発する輸送機関の事故によるご遺族の方々が手を取り合ったりと、「御巣鷹の尾根」は「安全への祈り」の場として新たな役割を担っています。
この事故から31年。
この間、日本の航空業界では乗客に死者を出す事故は1度も起きていません。
その意味においては、安全への祈りはしっかりと伝えられ、犠牲となられた520名(*)の命の灯は燃え継がれています。
私自身、前回の慰霊登山から早や2年が経過しました。
事故当時を知る写真家・小平尚典氏による動画「御巣鷹の尾根はやさしい風に包まれていた」を見て、今年もまた足を運べたらという気になっています。
ご遺族の方におかれましては、この日を境にまた悲しみを新たにしていることとお察しいたします。
遠く佐渡より、ご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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201508
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