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御巣鷹の尾根にて

2012.08.13 Monday

JUGEMテーマ:旅写真
JUGEMテーマ:つぶやき。

1985年(昭和60年)8月12日

単独の航空機事故としては世界最大かつ最悪の
「日本航空123便墜落事故」は27年前の昨日、発生しました。

乗客乗員合わせて520名(521名)(※)が犠牲となったこの事故は、当時小学生だった私の記憶に「日航機墜落事故」として残っています。


私はこの事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を願ういち個人として、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
この事故を絶対に風化させないという
「8.12連絡会」をはじめとするご遺族の方々の強い思いのうちの一翼の、せめて一片の羽にでもなれればと思い、
おこがましくもこの夏の初めに慰霊登山に向かわせていただきました。

以下に掲載する写真はその時のものです。



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【登山道入口まであと3.4km】

事故当時、テレビの画面に延々と映し出されていたカタカナの乗客名簿と、読み上げ続けられていた搭乗者の方々の名前…。

小学2年生だった私も、何かとんでもないことが起きたんだということと、夏にも関わらずとても背筋が寒くなるような恐怖感を抱いたことを覚えています。

そして、この時から、私にとって飛行機とは安全な乗り物ではなくなっていました。


今年、12年ぶりに飛行機に乗りましたが、搭乗を決意するまでに半年以上の時間を要してしまいました。

よく飛行機の安全性の例えとして「飛行機は一番安全な乗り物」と言われたりしますが、私にとっては「飛行機は墜ちるもの」なんです。

そして、その半年間で飛行機の安全性について自分なりに色々と調べていた結果、たどり着いたのがこの事故のことでした。


私の記憶に残っていた「4人の生存者」と「オスタカヤマ」というキーワード。

これらを改めて思い起こすとともに、知らなかった事故の概要をこの機会に知ることができ、改めてこの事故の大きさと悲惨さを知りました。


今年「御巣鷹の尾根」では犠牲者の方と思われる骨が見つかったそうです。

ご遺族の方々の高齢化が進み、事故の記憶が風化することが懸念されていますが、27年の歳月を経て新たな骨が見つかったということは、
犠牲になられた方からの事故の風化や、各輸送機関の安全性への軽視ともとれる価格競争への警鐘(メッセージ)の1つなのかも知れません。

一方、今年の慰霊登山には、事故を知らない若い世代の方が大勢参加されたようで、空の安全への祈りは着実に受け継がれています。



私にできることは何もありませんが、せめて現場付近の様子をお伝えすることで、何かしらのお役にたてることができたらと思います。

改めて、この事故で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方々のご健康をお祈り申し上げます。



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【登山道入口付近より御巣鷹の尾根の方面を望む】

当初は関越道側から上野村を目指すつもりだったんですが、地図を見た限り、相当な距離がありそうだったので、長野方面から
十石峠を越えてきました。


登山道入口に辿り着くまで、相当数の車とすれ違いました。

すれ違うたび「ご遺族や関係者の方だろうか?」と、考えていました。


しかし、林道終点の駐車場には1台の車が停まっている限りで、ずっと私の後ろをついてきたバイク2台も、駐車場で降りることなく引き返して行きました。



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【登山道の入口】

登山道の入口に到着しました。


長い道中でした。

途中、何本ものトンネルをくぐって来たんですが、急カーブに照明の少ないトンネルがあり、そのまま闇へ吸い込まれてしまいそうに感じたりもしました。

細い林道には、小さな落石がたくさんあり、それを避けながら走ってきました。


登山道の入口に立って「私なんかが来ても良いのだろうか?」と、足を踏み入れることに躊躇してしまう自分がいました。



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【登山道】

登山道はとても良く整備されています。

駐車場から「昇魂の碑」までは、高低差が約150m、距離にして約800mです。

ご高齢の方でも歩き易いように、手すりが設置されています。


登山道を入ってすぐのところに熊よけの鈴が設置されていますが、その先の道中を考えれば持参した方が良いでしょう。

私は持参したんですが車に忘れてしまい、取りに帰るのも面倒だったため、ハラハラしながらも鈴なしで歩いてきました。



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【ささやき碑】

登山道を歩き始めて5分ほどで、水のみ場と慰霊碑「すげの沢のささやき」に到着します。


ここには「御巣鷹の尾根」の案内図があり、日航123便の墜落に至るコースと経過が細かく記してあります。

すぐ側にはポストがあり「(案内図を)ご自由にお持ちください」とあったのですが、中には何も入っていませんでした。


この事故の最終的な経緯やその後の安全に関わる重要な資料に見えたので、残念でした。



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【ささやき碑を過ぎて】

なおも登山道を進みます。


登山道の向かって右側にはすげの沢のせせらぎが響いています。

鮮やかな緑色と相まって清涼感はありましたが、私は冷や汗に近いような汗をたくさんかいていました。



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【なおも続く登山道】

私にとって決して大層な山道とは思えませんでした。

しかし、この神聖な山に赴くだけの覚悟が足りなかったのかどうか、やたらと苦しく、とてもしんどかったです。


緊張のせいか、体中から汗が噴き出していました。



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【山小屋】

ご遺族の方の休憩のためのベンチと山小屋に到着しました。

墜落した機体や遺体が散らばった箇所に差しかかろうかという場所です。


十石峠へ向かう途中、長野県側の町で買ったお線香がちゃんとバッグに入っていたかを確認しました。

タバコを吸わなくなって、ライターを買ったのも久しぶりでした。



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【遺族有志の想い】

「あなた やってきましたよ きこえますか 見えますか あなたと話したい あなた 言いたいことは・・・」

「さよなら も 言えずに 旅立ったあなたたち やすらかに 永遠の 祈りをささげます」


これを読んだだけで、グッとこみ上げてくるものがありました。

会いたくても、話したくても、それはもう永遠に叶わぬことです。

「さよなら」も言えず・・・。


520名の方の命は「奪われたもの」ということを改めて認識しました。



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【御巣鷹の尾根案内図】

すげの沢方面と「昇魂の碑」への分岐点です。



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【分岐点より見下ろす“すげの沢”方面】

分岐点をまっすぐ下るとすげの沢に辿り着きます。

4人の生存者はこのすげの沢のわずか1.5m四方の中で発見されたそうです。

思ったよりも狭い沢の周辺におびただしい数の墓標が立っていました。


写真中央付近に見える祭壇で最初のお焼香をさせていただきました。

祭壇の中は、この地で起きた“現実”が詰め込まれているかのようでした。


たくさんの遺影や千羽鶴、残されたご遺族の方の「あれから」や近況を伝える手紙、祈りの言葉・・・。

たくさんの方々の、たくさんの「祈りの形」が所狭しと並んでおり、それは多くの“叫び”にも見えました。

涙が溢れました。



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【昇魂の碑へと続く道】

すげの沢に並ぶ墓標1つ1つに手を合わせた後、「昇魂の碑」へと向かいます。



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【機体が滑り落ちた斜面】

このすげの沢へと続く急な斜面を、真っ二つに裂けた機体後部が木々をなぎ倒しながら滑り落ちたんだそうです。

斜面にも多くの墓標が点在しており、中にはポツンと離れたところに立つ墓標も見られました。


歩いていると、

「こんなところにも墓標がある…」

と、足を止められました。



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【視界が開けた目の前には・・・】

やがて「昇魂の碑」に辿り着きました。

その直前、私の目に飛び込んできたのは、対岸の尾根に残った「U字溝」と呼ばれる痕跡でした。



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【昇魂の碑にて】

「昇魂の碑」に到着です。

さきほどから雨がポツポツと落ちています。


道中、あれほどたくさんの車とすれ違ったのに、登山道ですれ違ったのは2人だけでした。

「ご苦労様です。もうすぐ山頂ですよ」

登山道を整備点検しておられる方のように見えました。


階段手前の「安全の鐘」を鳴らし、黙祷してから階段を進みます。



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【昇魂の碑】

日航123便がこの地に墜落してから東奔西走し、ご遺族の方や身元不明の遺体の安置と供養などに尽力された
黒沢丈夫 元上野村村長の書による昇魂の碑です。 


黒沢村長も昨年の12月にお亡くなりになられたそうです。

ここでもお焼香をさせていただきました。



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【墜落地点を示す碑】

「1985年8月12日18時56分26秒 羽田発大阪行 日本航空123便 JA8119号機 ここに墜落」

「524名搭乗 乗客505名死亡 乗員15名死亡 乗客4名生存 1988年8月遺族これを建立す」


事故から3年後に立てられた碑なんですね。

事故機は、対岸の尾根を右主翼でえぐった後、機体を反転させてこの場所に激突したんだそうです。


そっと手を置いて祈りを捧げました。



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【27年前の炎の跡】

墜落地点の上部へ進んだところで真っ黒に焦げた木が何本かありました。



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【27年前の炎の跡】

「な、何・・・?」

最初に見つけた時は、こんな場所に火が放たれた理由がよく分かりませんでした。


27年前の墜落現場は、当時の生々しさをそのままに残していました。

衝撃的な光景でした。



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【操縦クルーの碑】

さらに上部にあった、操縦クルー(機長、副操縦士、航空機関士)の碑です。


事故後発見された
コックピット・ボイス・レコーダー(CVR)からは、3人のクルーが極限状態の中でも諦めず、最後の瞬間まで飛行機を安定させようと
懸命に戦っていた様子が伺い知れます。

絶望的な状況下で32分間も飛行機を飛ばし続けたことは、事故当時の新聞報道の中でも取り上げられ、驚嘆に値するとされています。


4人の命を救った名パイロットたちの碑です。

ここでもお焼香をさせていただきました。


ふと見ると、ゴルフボールがお供えされていましたが、2個しかありませんでした。

どなたかお1人はゴルフが苦手だったのでしょうか?

「3人で一緒にプレーできないじゃん…」

思わずそんなことを考えていました。


カラスが持って行ってしまったのかも知れません。



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【U字溝】

操縦クルーの碑の正面には、あの「U字溝」が・・・。

胸が締め付けられる思いがします。



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【観音様と520名の名を刻んだ碑】

「520人の霊よ安らかなれ」

この側にも祭壇があり、この便に搭乗していた歌手の
坂本 九 さんのレコードや写真などがお供えされていました。



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【神流川上流】

ふとケータイを開いて時刻を確認すると、いつの間にか16時を回っていました。

「おいっさぇっ!」

こんな時にも自然と佐渡弁を発してしまったことにまず驚き、そして時刻に驚きました。


すべての墓標に手を合わせられなかったのは私の不徳の致すところです。

相変わらず小雨が降っており、この日のこの先の行程のことも考えると、選択肢は「下山」しかありませんでした。



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【関東一の清流】

何だか後ろ髪をひかれるような気持ちが入り混じった複雑な心境でしたが、必ずまた慰霊に来ることを自分に誓って下山です。


再び落石だらけの林道を走ります。

林道の脇には「関東一の清流・神流川」が風光明媚な光景をいくつも作って流れていました。

来るときにすれ違ったたくさんの車は、この清流を求めて来た釣り客なんかだったのかも知れません。


「こんなに美しい景色なのにな・・・」

「なのに・・・何だ?」

訳のわからない自問自答を繰り返しながら、再び永遠の闇のようなトンネルをいくつも潜り抜けました。



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【慰霊の園】

上野村の中心部にある「慰霊の園」に立ち寄りました。

123名の身元不明遺体が安置してあり、慰霊塔は「御巣鷹の尾根」に向いて合掌をかたどっているそうです。

「御巣鷹の尾根」も、この「慰霊の園」も、本当に上野村の方々が“守っている”んだと強く感じました。


最後のお焼香をさせていただきました。



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【慰霊の園 案内図】

今回、この事故のことを掘り下げて知って、不謹慎かも知れませんが感銘を受けたことがあります。

操縦クルー、そして、客室乗務員の方々が全うした「職務」についてです。


恐らくは、あの便に乗っていたすべての人が「事故原因=垂直尾翼の破損」を知らないままだったと思います。


自らも死の危険にさらされ、しかも原因もわからないという状況で、最後の最後まで気丈に振る舞い、冷静に対応に当たった客室乗務員の方々。

不時着時のアナウンスのメモ書きや、
生存者の方の証言からも、極限の状態にも関わらず職務を全うした姿が見て取れます。


そして、CVRから伺い知ることのできる操縦クルーたちの“格闘”。

自分が同じような状況に陥ったとき、あんな風に職務を全うすることが出来るでしょうか?


高濱機長は、時に乱暴とも思える言葉で、副操縦士を叱咤しています。

しかし、その一方で、「どーんと行こうやっ!」「頑張れ!頑張れ!!」と、副操縦士を励まし、自らをも鼓舞しています。

500人以上の乗客乗員の命を預かる者にしか知り得ない重圧と責任。


職務を全うし、責任を全うした操縦クルーや客室乗務員の方々。

神様の仕打ちは残酷なものでしかありませんが、その姿に感銘し、尊敬の念を抱く人は大勢いることと思います。

改めて、ご冥福をお祈りするとともに、敬意を表したいと思います。



毎日毎日、佐渡の上空も飛行機がたくさん飛んで行きます。

飛行機雲を見つけると、見えなくなるまで目で追いたくなります。

「Good Luck!!」と心の中で叫んでみます。


私も飛行機に乗って、どこか遠いところへ行きたいです。

安心して、空の旅を楽しんでみたいです。


この事故以来、日本の航空会社は乗客を犠牲にした事故は1度も起こしてはいません。

それは、確実にこの事故の教訓が生きているものと思います。


1番の売りは「安全」なんだと思います。

キレイ事ではありません。

「安さ」や「快適さ」ではなく「安全」をもっともっと謳い文句にしてもらいたいと思います。

本当の意味で「飛行機は最も安全な乗り物」になってもらいたいと思います。


私自身、もっともっとこの事故について興味や関心を持ち続けたいと思います。

そして、来年も必ず慰霊登山に向かいます。



☆関連リンク先

「8.12連絡会のホームページ」・・・空の安全を求める活動を続けるご遺族のページです。

「日航機墜落事故 東京 - 大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」・・・生存者のご家族のご友人が綴るページです。
事故の詳細を知ることができます。


(※) 死者数については、胎児1人を含め521人とする向きもあるそうです。
    妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。
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コメント

確かに日航ジャンボ機墜落事故はガキながらに強烈なものを心に焼き付けました。

テレビ報道を見続けていた記憶もありますし、自衛隊のヘリコプターが生存者の女の子を引き上げている光景もリアルに覚えています。

(飛行機=一番安全な乗り物)ではないという気持ちはあの事故以来思えないというのは華さんと同じです。

あんな悲惨でこの世の光景とは思えない状況をテレビで映し出され、それで飛行機は安全なんて誰が思えるのでしょうか?

滋賀県大津市の瀬田川畔に紫式部が源氏物語を記したとされる有名な石山寺が在りますが、寺の境内には沢山の桜が植樹されており、春には綺麗に咲かせています。

それは日航ジャンボ機墜落事故の遺族の方が事故をきっかけに植樹されたものだと聞いたことがあります。

経緯などは耳にしたことがあるのですが、うろ覚えなので書けません。が、僕の身近にも日航ジャンボ機墜落事故に所縁のある場所があることに驚いたものです。

だって、現実に起きてしまった悲惨極まる事故だったけど、テレビ報道で見ていてなかなか身近に感じられなかったというのも本音で・・・。

確か映画で『クライマーズハイ』という作品だったかな・・・その作品は日航ジャンボ機墜落事故のノンフィクション映画だったように思います・・・竹中直人さんが主演されている作品です。

下北沢で日航ジャンボ機墜落事故のコックピット内での緊張感あるやり取りを舞台にした芝居も見に行きました。

大人になってもガキの頃に受けた衝撃的な日航ジャンボ機墜落事故という足跡を知らず知らずに辿ろうとしていたのかもしれません。

あの暑い夏の日の出来事は確かに風化をさせてはならないことだと思います。

滋賀県の信楽町で起きた信楽高原鉄道とJRの正面衝突事故・・・阪神淡路大震災・・・尼崎のJR事故・・・東日本大震災・・・

風化させてはならないことは沢山あるのにヒトは学んで教訓としようとする意識が希薄過ぎます。

せめて、次の世代となる者がそうでないことを祈りたいものです。

  • by 伊右衛門
  • 2012/08/15 1:52 AM
伊右衛門さん、おはようございます!
いつもありがとうございます(^^)

伊右衛門さんのおっしゃるとおり、あまりにも強烈な記憶のため、
私にとっては「飛行機=いつかは墜ちる」であり、とても安全なんて思えません(涙)

滋賀県のお寺の桜の植樹は聞いたことがあります。
9歳で1人ジャンボに乗っていた方の隣に、帰省するためにこれまた1人で搭乗していた若い女性の方がいたそうです。
その女性のご遺族が植樹したと聞きました。
チケットを取ったのはご遺族の方で、ずっと後悔してらっしゃったということも・・・。

竹中直人さんが出ていたドラマ・・・タイトルは忘れましたがYouTubeで観ました。

事故後時間が経ったことを理由に、当時の事故調査の資料や保管していた飛行機の残骸の一部を破棄してしまったんですよね。
そういった動きに対する危機意識の現われとして、何者かがボイスレコーダーを流した・・・そんな内容だったと思います。

「忘れる」ということは人間に備えられた能力だと思います。
「忘れる」ことができるからこそ、前へ進むことができることもあるのかも知れません。

しかし、忘れてしまったら、何もかも見た目には元通りになってしまい、
誰も思い出すことも無くなってしまいます。

鉄道事故も、大震災も、つい先日の高速バスの事故も。

「記憶」することも大事な大事なことですよね。
「記憶」することができるからこそ、振り返ることもできるし、
同じ過ちを犯さないこともできるんだと思います。

この事故に限らず、学び、教訓にするという意識を無くしてはならんですよね!
伊右衛門さんのおっしゃるように、せめて、自分自身はそうありたいと思います。
  • by 
  • 2012/08/17 6:40 AM
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