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御巣鷹の尾根にて 〜 30年目の夏 〜

2015.08.12 Wednesday


1985年(昭和60年)8月12日 18時56分。
単独の航空機事故としては世界最大の惨事となった「JAL123便墜落事故」が発生したのは30年前の今日です。

私はこの事故の関係者でも何でもありませんが、空の安全を切に願ういち個人として3年前に初めて「御巣鷹の尾根へ」と足を運びました。
すべての墓標に手を合わせることができず、必ず再訪すると自分に誓ったところですが、昨年9月にようやく2度目の慰霊登山に行くことができました。

私にできることは何もありませんが、最も恐るべき「事故の記憶の風化」という点に対し、何かしら「伝える」ことができたらと願っています。
以下に掲載するのは、そんな思いを持って臨んだ昨年の慰霊登山の際の写真です。

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3年前は長野県側から十石峠を越えてきました。
今回は国道を乗り継ぎながら、神流川沿いを車を走らせて来ました。

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神流川沿いの国道462号線はとても狭く、崖にそって曲がりくねった道の連続です。
事故当時、大勢の報道陣や警察車両、関係車両が列をなした光景を想像しながら走っていました。

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あの日、東京発大阪行きの123便が、32分間の迷走飛行の末に墜落したのが御巣鷹の尾根です。
520名(521名)の命が失われ、しかし、同時に4名の命が救われた聖山です。

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かつての登山道入り口には今も観音様が立っています。
渓流釣りとしても名高い神流川ですが、ここより上流は“聖域”として釣りをされる方も入渓を自粛しているんだそうです。

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現在の登山道入り口です。

ここへ来るまでの長い長い道中。
事故当時は今のように舗装道路が通っていたハズもなく、錯綜する情報に振り回されながら大勢の方が墜落地点の特定に急いでいました。
「こんなに山深いところに、しかしどうやって…」
2年前の曖昧な記憶よりずっと遠く感じたこの道中、ずっとそんなことを考えながらハンドルを握っていました。

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昨年あたりから、事故機のCVS(コックピット・ボイス・レコーダー)の解析に進展があったり、長年の沈黙を破っての新証言があったりと、
30年を経てなお多くの“新事実”が浮かび上がっています。

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1987年に当時の事故調が --- いわゆる“公式”の --- 事故調査報告書を公表し、この事故の原因は結論付けられたこととされています。
しかし、未だに残る多くの“なぜ”を解明しようとする多くの関係者の尽力により、薄皮を剥ぐように新事実があぶり出されているんだと思います。
「8.12連絡会」をはじめとした多くの方が望む「再調査」への声。
これら新事実も、そうした多くの声の1つと思います。
再調査を切に願います。

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高齢化が進むご遺族の方でも歩きやすいようにと、登山道はとてもよく整備されています。
現在の登山道入り口から「昇魂之碑」までは、距離にして800m、高低差で180mです。
かつては距離にして約2km、高低差500mもあった登山道ですが、林道を延長するなどしてずいぶんと短縮されたそうです。

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登山道入り口には多数の杖が備え付けてあり、誰でも自由に使用できるようになっています。
今年は30年目の節目ということもあり、慰霊登山者の数は過去5年間で最多となっているそうです。

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「JAL123便墜落事故」だけでなく、各輸送機関における事故の遺族の方にとっても、この御巣鷹の尾根は安全への祈りの場となっています。

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登山道を歩き始めて5分ほどで「すげの沢のささやき碑」に到着します。
側のポストには、JA8119号機(事故機)が御巣鷹の尾根に激突するまでの経緯や、墓標の位置が示された図が設置されています。
ここで墓標の位置図を手に取りました。

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ささやき碑をすぎて続く登山道です。

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歩きやすいように階段や手すりが設置してあります。
捜索にあたった当時は、それこそ獣道もないような状態の斜面だったと思います。
こんな山奥で助けを待った大勢の方々…。
そして、そこへ向かった大勢の方々…。
一段一段をしっかり噛みしめるように足を進めます。

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この日、この登山道では相当数の方とすれ違いました。

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私が駐車場へ到着するのと時を同じくし、既に駐車場にあったマイクロバスからは大勢の方が降りてきました。
そのほとんどがご高齢の方に見えました。
ご遺族の方々かと思ったんですが、ガイドさんと思しき方が先導して歩いて行った一団はどうやら事故の関係者では無さそうでした。

「ハイ、一休みしたら出発しますよ。あともうひと頑張りですよ!」
何となくこの場に似合わないような軽快な声が響いていました。

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休憩小屋やベンチが並び、そして遺族有志の祈りの看板が目に入って来ました。
御巣鷹の尾根に激突し、引きちぎれた機体後部が木々をなぎ倒しながら滑り落ちた斜面です。

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その斜面の突き当り、写真中央に見える橋を渡ったあたりの1.5m四方の空間から4人の生存者が発見されました。
生存者の方の証言によれば、墜落直後、この谷には大勢の方の声や荒い息遣いが響いていたんだそうです。
墜落から約2時間後には救難隊のヘリが現場上空まで達していますが、夜間救難装備の不備などで救助活動を行えなかったといいます。
そうしているうち、しだいに息遣いや声は聞こえなくなっていったんだそうです。
生存者の方が発見され、救助されたのは事故の発生から16時間後のことでした。

写真の右端に青いトタン屋根の祭壇が見えます。
3年前と同様、最初のお焼香をさせていただきました。

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3年前には足を踏み入れることの無かったすげの沢の上部です。
霧が立ち込め、時折雨が落ちてきました。
先ほどまではマイクロバスの一団や若い方々の一団の姿があり、時折話し声も聞こえてきましたが、いつの間にかあたりはシンと静まり返っていました。
クマよけの鈴の音だけが鳴り響いていました。

あの日、助けを待つ多くの方々はこんな場所でこんな景色を見ていたのだろうかと思うと胸が痛みました。

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昇魂之碑に近づくと、焼け焦げた木が何本か目に入ってきました。

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将来を嘱望された女優の方。
プロ野球球団の社長。
大好きな高校野球を観に1人旅に出た少年。
様々な方の様々な未来がこの場所で断ち切られたと思うと胸が詰まる思いがしました。

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山頂付近の祭壇です。
ご遺族の方の「あれから」を伝える手紙や、亡くなられた方への思いを綴った手紙など、たくさんの“祈りのかたち”がありました。
人々を魅了した有名歌手の方の笑顔がこちらを向いていました。

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墜落地点に立つ観音様です。
そして亡くなられた方の名前が刻まれた碑が並んでいます。

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「1985年8月12日18時56分26秒 羽田発大阪行日本航空123便 JA8119号機ここに墜落」
「524名搭乗 乗客505名死亡 乗員15名死亡 乗客4名生存 1988年8月遺族これを建立す」

墜落地点を記す碑です。
そっと手を置くと、日中の陽射しの名残が暑く残っていました。
あの日もとても暑い1日だったそうです。

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そして「昇魂之碑」です。
事故の発生から東奔西走し、亡くなられた方の魂を守ることに尽力された故・黒沢丈夫 元上野村村長の書による碑です。
ここに最後のお焼香をさせていただきました。

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下山の途に就きました。
先ほどからの雨で階段が滑り、何度か足を踏み外しそうになりました。
数などは数えませんでしたが、目に入った墓標全てに限りなく近く手を合わせることはできました。

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もう1度すげの沢を振り返ります。
「4人の命が救われた聖山」
この言葉が頭をよぎりました。

しかし、わずか1.5mの差が明暗を分けたのだとしたら、その差は一体何だったんだろうと…。
あまりに無情で、そして無慈悲な仕打ちに思えてなりませんでした。

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登山道を降り、駐車場へ戻った時、既に私の車以外の車両は姿を消していました。
こうして2度目の慰霊登山を終えました。

我に返って、何も救われていないような気持ちになってしまったのは何故なんでしょうか…。
しかし、このところ現れた心境の変化としては「飛行機に乗ってみたいな」というものです。
私が飛行機を怖いと思うこととなった契機はこの事故ですが、知ることによって得ることができた心境の変化でもあります。
これはCVRから伺い知ることのできる「4人の命を救った名パイロット」の懸命な姿に感銘を受けたからにほかなりません。

30年というひとつの節目を迎え、しかし、ご遺族の方は今日また悲しみを新たにしていらっしゃることと思います。
せめて、この事故で犠牲となられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方のご健康を心よりお祈り申し上げます。
そして同時に、一刻も早く、この事故の真の原因が究明されることを切に願います。

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(*)死者数については、胎児1名を含め521名とする向きがあるそうです。
  妊娠6ヶ月の胎児が墜落の衝撃で母親のお腹から飛び出してしまったためです。

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関連リンク先
「8.12連絡会」
 ・・・「空の安全」と輸送機関の安全を求めるご遺族の会のホームページです。
「日航機墜落事故 東京−大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録」
 ・・・この事故でご友人を亡くされた方のホームページです。

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