1985年8月12日。
午後6時56分。
日本航空123便が群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落して、今日で32年目を迎えます。
昨夜から上野村では雨の中、灯籠流しが行われ、今日は慰霊登山や慰霊式典などが執り行われたことかと思います。
日中、そのあたりのところはニュースでも報じられておりましたが、ご遺族の方の「何年たっても悲しみは変わらない」という言葉に胸が痛む思いです。
今日という日を迎え、慰霊登山に向かわれるご遺族の方は亡くなられた方への”再会”を待ちわびるお気持ちでいらっしゃるんでしょうか…。
それでいて、毎年悲しみも新たにしなければならないと思うと、心が痛みます。
この場をお借りして、改めましてお悔やみ申し上げます。
一方、高齢化が進むご遺族に対して、事故を知らない若い世代の方も慰霊登山に足を運ばれているそうです。
ニュースでは、小さなお子さんがご遺族の方と一緒に楽しそうに笑顔を浮かべて登山されている様子が映し出されていました。
慰霊登山の意味を知るにはまだ少し先になるのかもしれませんが、この事故が、世代を超えて着実に引き継がれることを切に願います。
今日の報道等を通じ、個人的には改めて「再調査」の必要性を痛切に感じているところです。
諸説ある中で、事故原因は同機体に7年前に発生した”しりもち事故”の修理ミスに起因する後部圧力隔壁の損壊、
そしてその損壊に端を発する垂直尾翼の破損および操縦系統の破断と”推定”されています。
しかしながら、事故の解明に欠かせない垂直尾翼や落下部品の多くは相模湾の海底に沈んだままです。
32年という年月が経過し、海底に沈んだ部品の数々をこれから回収に乗り出すことは確かに現実的ではないのかもしれません。
しかしながら、各々のメディアの独自調査や取材により、相模湾の海底からは機体の残骸と思われる(可能性のある)物体が発見されていますし、
CVRについても、元航空関係者等の協力のもと、判読不明とされていた箇所の一部に新たな解析の可能性が示唆されています。
いずれも公式な調査ではないものの、その”足がかり”と位置づけられることができると思われる要素は近年多数報告されているはずです。
国の運輸安全委員会は「コメントを差し控える」としていますが、正式にコメントできるだけの調査を行うべきなのではないかと思ってしまいます。
今なお取り残されている多くの「なぜ」に答えることこそが、空を初めとした各輸送機関の”安全確保”の最優先事項なのではないでしょうか。
雲が多く、時折雨が落ちてくる今日でした。
墜落時刻の午後6時56分。
その少し前、水平線上を覆う雲に沈もうとする夕陽が見えました。
その反対側の空は、照り返しで茜色に染まっていました。
ご遺族の皆さまが相互に励まし合い、助け合い、一緒に霊を慰めていくことを目的に結成された
「8.12連絡会」
この事故の意味を問い続けるため、ご遺族ご自身の言葉で事故を語るために発行されてきた文集「茜雲」
「茜雲」の由来は「123便の窓から見えたはずの、夕日に染まる茜雲に、鎮魂の祈りを込める」と解説されています。
もう2度と事故を起こさせないため。
これを読んだ方と一緒に安全を求めたい。
この文集がその橋渡しとなってほしい。
そんな願いを込めた「8.12連絡会」や御巣鷹の尾根は、空のみならず、各輸送機関の安全を願う象徴となっています。
墜落時間と同じ時間、私は車で移動中でしたが、信号の交差点で御巣鷹の尾根へ向かって合唱させていただきました。
遠く佐渡より、ご遺族の皆さまのご健康をお祈りいたしますとともに、改めて犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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関連リンク先
■「8.12連絡会」