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墓場の町

2018.04.07 Saturday

 

タイトルは少々語弊を招くかもしれませんが…。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1600,F2,iso100】

 

久しぶりにかつての”鉱山都市”に足を運んでみました。

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/50,F5.6,iso200】

 

”鉱山都市”へのアプローチは何通りもありますが、この日私が選んだルートは「水替無宿の墓(Mushuku no Haka Cemetery)」からのルートです。

「無宿の墓」は嘉永6年(1853年)に建てられたもので、佐渡金山の坑内で作業中に死んだ水替人足28名の戒名・生地・俗名・年齢等が刻んであります。

毎年4月の第3日曜日に供養祭が催されています。

ちなみにこちらのお墓や供養塔は日蓮宗覚性寺にあります。

覚性寺そのものはとうの昔に廃寺となっているため、今は跡地を示す標柱のみが残っています。

 

この場所の私のいちばん古い記憶があります。

父に連れられ、当時は相川の町中にもあった喜昇堂(Kishōdō)パン屋でパンを買い、ここまで歩いてきました。

その時の写真が残っていて、パンの入った袋を持つ私たち姉弟の背後には道遊の割戸が写っています。

私が小学校へ上がる前後の頃のことかと思うので、35年くらい前の話です。

今はもう少し鬱蒼としていて、ここから道遊の割戸を見ることはできません。

 

「無宿人は道遊の割戸なんて見たくも思い出したくもないから、木を植えて見えないようにした」

後年、父に教えてもらいました。

いつも嘘かも本当かもわからないようなことばかり言っていた父ですが、私はそのほとんどを今も真に受けています。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/100,F2,iso100】

 

「無宿人の墓」の先にある踏み跡へと足を進めます。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/100,F2,iso100】

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/100,F2,iso100】

 

前に来た時は、とにかく足元がぬかるんでしました。

この日は長靴を履くことも無く、スニーカーで来ていました。

この1週間ほど一切雨が降ることが無かったので、踏み跡は”カサカサ”と乾いた音を立てていました。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1000,F2,iso100】

 

視界が開けました。

綺麗に整地されているように見えます。

かつて、妙伝寺というお寺が経っていた場所らしいです。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/160,F2,iso100】

 

なおも足を進めます。

時折、石段の跡のようなものが顔を覗かせていますが、、、

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/160,F2,iso100】

 

それ以外、視界に入って来るものと言えば、とにかく”墓石”です。

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/50,F11,iso400】

 

やがて、石垣が姿を現しました。

踏み跡は石垣の上に回り込むように続いています。

その踏み跡を辿ると、、、

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/80,F11,iso400】

 

墓地ですね。

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/800,F5.6,iso400】

 

今でこそこうして再び足を踏み入れることのできるようになった場所ですが、もう何100年も人目につかなかった場所です。

今もどこかで暮らしている方の先祖を辿ると、ここへ行きつく方がいらっしゃるはずです。

自分のご先祖がこんな場所にこうして安置していることをご存知でしょうか…。

(特に、是非を問うものではありません。ただそう思うだけです)

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/125,F2,iso100】

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/125,F2,iso100】

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/800,F2,iso100】

 

現在、相川地区には”寺町”と呼ばれる区域があります。

正式には「相川下寺町」です。

 

「『下』があるのなら、『中』と『上』はどこへ行った??」という話になりますが、今回写真でお伝えしている場所が「相川中寺町」です。

ここをもっと進むと「相川上寺町」に辿り着きます。

長い時を経て、3つあった「寺町」は現在は「下寺町」のみが存在しています。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1250,F2,iso100】

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/1250,F2,iso100】

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/200,F2,iso100】

 

来た道を戻るのも何ですから、あえて違う踏み跡を辿ってみました。

このあたりから、自分がどのあたりにいるのかが分からなくなります。

ただし、木々の隙間から道遊の割戸が見え、足元からは沢の音が響いているので、迷子になるようなことはまずもって想定すらしていません。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/80,F2,iso200】

 

察するに、こちらが「相川上寺町」です。

ここからは帰途に就きます。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/80,F2,iso200】

 

浄願寺というお寺へと続く石段と思われます。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/60,F2,iso200】

 

私の知る限り、この”鉱山都市”に残る、もっとも”らしい”石段です。

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/125,F2,iso200】

 

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【α99,Planar T* 50mm F1.4 ZA SSM,1/125,F2,iso100】

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/40,F11,iso400】

 

居住区域はもっと別のところだったかと思います。

こちらは”寺町”へと続くあくまで1本の道なんでしょう。

現在であれば、街灯があったり手すりがあったり、、、

 

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【α7SII,LA-EA4,Vario Sonnar T*16-35mm F2.8 ZA SSM,1/40,F11,iso640】

 

下町へ繰り出すこともあったでしょう。

月明りや提灯の灯りを頼りに、こんな小道を人々は行き交っていたんでしょうか。

今残る面影からは、なかなか想像がつきません。

 

この、かつての”鉱山都市”は「上相川町(Kami-Aikawa)」です。

小学校〜中学校の頃でしょうか。

スカイラインへと連れて行ってもらった時の道中かと思います。

母が車窓越しの鬱蒼とした森を指さし「昔はあそこに『上相川』っていう町があったんだよ」と。

私がこの町名や存在を知ったのはその時が最初でした。

 

佐渡金山の開山(1600年)を契機に集落が形成され、最盛期には12haに20余の町屋があり、4〜500軒で構成された町と推測されているそうです。

しかしながら、家屋については応急処置的につくられた山小屋状の家屋が立ち並んでいたんだそうです。

そして都市的成熟を遂げる間もなく下町へ機能分散され、1640年頃にはゴーストタウンへの兆しを見せ始めていたんだそうです。

”鉱山都市”とは言いながら、都市機能を果たした期間はわずかに4〜50年程度だったことになります。

 

大局観的に見ればごくごくわずかな期間でしかなかったんでしょうけれど、そのわずかな期間に墓石の数だけの人の命が左右した場所なんですね。

深い意味は無いんですが、ここへ来て、この「上相川町」にスポットが当たり始めて、よかったと思っています。

 

 

 

【おことわり】

 

タイトルの「墓場の町」についてですが…。

本来的にはそのような町ではないと思うんですが、この日目の当たりにした景色があまりに墓石だらけだったということで、

勝手な主観ではありますが、このようなタイトルとさせていただきました。

 

 

 

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コメント
華さん、こんにちは。

史跡が数ある相川で、江戸にタイムスリップできるこの地域は特にお気に入りです。
とても見応えと読み応えのある内容でした。 いつも興味を引くUP、有難うございま〜す♪
  • by Hide Kun
  • 2018/04/12 8:59 AM
Hide Kun さんこんばんは!
いつもありがとうございます(^^)
リコメントが遅くて申し訳ございませんm(_ _)m

「上相川」
かつて親に教わったその地名を聞いて、何かロマンのようなものを感じたものです。
かつての鉱山都市がこうして深い森の中に埋もれているという…。
しかしながら、確かに「存在していた」という息吹を今に伝えていること…。
やはりロマンを感じます☆
  • by 華
  • 2018/04/28 9:36 PM
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