悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
昨日、久しぶりに気の会う仲間たちと大酒を喰らいました。
酔っ払いの帰り道、何故かこの藤村操の「巖頭之感」を思い出していました。
GWに行きそこねた華厳の滝が思ったより心残りだったのかも知れません。
滝巡りを始めて久しいですが、元はと言えば、滝の流れ落ちる姿を長いシャッタースピードで撮影したかったがために
カメラを買ったようなものです。
次回、また夏頃に旅に出るつもりですが、その時は華厳の滝からスタートしたいと思います。
ところで、私が「巖頭之感」を思い浮かべていたのは、別に滝から飛び降りたいとかそんな願望があるワケでも何でもなく、
唐突に「そういえばホレーショの哲学って何だったっけ??」って思い出しただけです。
だいたいそんなことを思いだすのもどうかとは思うんですけど、そういえば、藤村操だったなぁ・・・と、そういえば、華厳の滝だったなぁ・・・と、
早く夏休みにならないかなぁ・・・と、
ただただそれだけなんですけどね。
ちなみに藤村操が滝に身を投げた当時、第一高等学校の彼の担任が夏目漱石だったんですね。
漱石さん。前の日に予習をしてこなかった藤村操をひどく叱りつけたそうで、
それを気に病んでか、このことはその後の彼の人生に大きな影を落としたそうです。
そんなことを「ふーん・・・」ってウィキペディアなんぞ見ながら思ってたら、藤村操が滝に身を投じたのは、明治36年5月22日だとか。。。
って・・・え!?
昨日は、その日からちょうど105年後の日だったんですね。
何故なんだろう?
不思議です。。。
写真は、2週間前の晴れた日曜日、佐渡の山の深いところにある、
名瀑・法力和光滝です。
今年のシラネアオイを見るのは、もうこれが見納めだったかも知れません。
とても空が青い日だったんですけど、最後の写真の真ん中ちょっと上に見えるのは、
大野亀です。
あと2週間もすれば、ここは一面黄色いカンゾウに包まれます。
今年もそんな季節に差し掛かっているようです。